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久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日 – )は、日本の元政治家。国土政務次官・自治政務次官・自由民主党副幹事長を務めた。父は郵政大臣・衆議院議員を務めた久野忠治。 == 来歴・人物 == 愛知県知多市に生まれる。東海中学校・高等学校から早稲田高等学院に転校、早稲田大学理工学部土木工学科を卒業する。 大学卒業後は日本鋪道(現NIPPO)・日本道路公団などに勤務し、高速道路などの道路工事の現場責任者として活躍する。竹下登の中部地区担当の私設秘書を務めた後、1990年、政界引退を表明した父忠冶の後継者として第39回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧愛知2区から立候補し、最下位ながら初当選する。以後当選3回(小選挙区は愛知8区)。当選後は経世会(竹下派)に所属し、愛知県選出の国会議員では珍しい自民党保守本流として、国土政務次官・自治政務次官・自民党副幹事長などを歴任した。当選当時の愛知県は2005年の愛知万博や中部国際空港の開港を控え、統一郎は建設族・国土族の議員として、中央と愛知県のパイプ役として大いに期待されていた(道路公団唯一の生え抜き議員といわれていた)。 また、国土政務次官在任時に発生した阪神・淡路大震災では災害対策本部長を任され、実際に被災地に数ヶ月も留まり、復興に尽力した。 しかし2000年の第42回衆議院議員総選挙を前に「自分は政治家に向いていない。親父の跡を継いで10年間一生懸命がんばったがもう限界だ」と政界を引退した。後継は10歳年上の元環境庁長官・参議院議員の大木浩であった(結果は当選)。 引退理由の中には、1990年代の政界の激動(自民党が下野し細川連立政権の発足、自民党が政権復帰後のいわゆる自自連立政権、自自公連立政権、自公保連立政権)に国会議員として納得がいかないということもあった。その辺りの事情については小林照幸の著作『政治家やめます。 ある自民党代議士の十年間』に詳しい。 2009年5月30日、『みのもんたのサタデーずばッと』でVTR出演し、世襲議員の問題点、苦しさを語った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久野統一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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