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乙型魚雷艇(おつがたぎょらいてい)は日本海軍の魚雷艇。戦時中に大量建造を計画したが専用エンジン製造の遅れから多種の航空用エンジンを搭載し、多くの型が存在する。ここでは乙型として一括して記述する。また『世界の艦船 日本海軍特務艦船史』では一号型魚雷艇(T-1型)も乙型に含めている。 == 概要 == 1942年(昭和17年)後半からのソロモン諸島方面での反攻では、米軍の魚雷艇が活躍し、日本海軍でも魚雷艇、上陸用舟艇の建造が急務となった。そこで小型魚雷艇の急速建造が計画され、1943年(昭和18年)に2年間で1,500隻建造の計画が立てられた。また魚雷艇建造の優先順位は潜水艦と同じ、海防艦に次ぐ2位とされた。しかしこれは当時の日本の工業力では到底不可能な数字であり、特にエンジンの生産が追いつかなかった(後述)。 この魚雷艇開発にあたり、ノウハウの無い海軍に代わり、1920年代の古くから高速艇甲(HB-K)等の小型高速艇研究・開発で先行していた陸軍が技術協力を行う事となり、船型はカロ艇(駆逐艇・高速艇丙)を元にしたものとなり、これは戦前建造のT-1型(一号型魚雷艇)とほぼ同じ大きさとなった。船体は木造、もしくは鋼製であり船底はV型構造を採用、その工作は熟練工の不足のため苦労したという〔『昭和造船史』p597。〕。また木製船体の建造には尿素系接着剤を使用したがその研究が十分でなかった〔『日本魚雷艇物語』p66。〕。 建造における最大の問題点はエンジンの不足であった。当時まだ魚雷艇に使える軽量高馬力のディーゼルエンジンは無く、代わりにガソリンエンジンを使用した。輸入魚雷艇のエンジンをコピーした76号6型エンジンを三菱重工業で製造したが生産が間に合わず、水冷の航空用エンジンを転用した型も現れた。それでも数が足りず、航空用空冷エンジンを搭載した型もある。航空用空冷エンジンを船舶用に使用するには冷却のために大容量の送風機が必要で、そのためにエンジン出力の20%が消費された。更に長時間の最高出力運転ではオーバーヒートする欠点もあった。建造の問題点としてはそれぞれのエンジンを船舶用に改造する必要があり、それに多くの労力が費やされた。それら航空用エンジン搭載艇の多くは魚雷艇としては低速の30ノットにも満たない速度であり、中には20ノット以下の艇も建造された。 その後も専用エンジンの生産は捗らず、エンジンの不足から搭載を1基としたT-25型や更に船体を小型化したT-14型なども計画、建造され、派生型が増えることとなった。 結局日本海軍が建造した魚雷艇は(隼艇を含め)全部で約500隻、船体のみ完成して放置されたものや雷艇として竣工したものを含めると約800隻となった。その後の戦局の悪化により魚雷艇の生産は1945年(昭和20年)3月に中止、震洋などの特攻兵器の生産に重点を移していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「乙型魚雷艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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