翻訳と辞書
Words near each other
・ 乙島 (倉敷市)
・ 乙島村
・ 乙島祭り
・ 乙川
・ 乙川ミキ
・ 乙川優三郎
・ 乙川弘文
・ 乙川村
・ 乙川祭礼
・ 乙川祭禮
乙川駅
・ 乙巡
・ 乙巳
・ 乙巳の変
・ 乙巳五条約
・ 乙巳五賊
・ 乙巳保護条約
・ 乙巳士禍
・ 乙幡啓子
・ 乙弗皇后


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

乙川駅 : ミニ英和和英辞書
乙川駅[おっかわえき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おつ, きのと]
  1. (adj-na,n) 2nd in rank 2. second sign of the Chinese calendar
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [えき]
 【名詞】 1. station 

乙川駅 : ウィキペディア日本語版
乙川駅[おっかわえき]

乙川駅(おっかわえき)は、愛知県半田市乙川町にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線である。
大府駅武豊駅を結ぶ武豊線の中間駅(途中駅)の一つで、半田市中部の乙川地区に位置する。
== 歴史 ==
乙川駅は、1886年明治19年)の武豊線開通から40年以上経った1933年昭和8年)12月に開業した。1930年代前半に開通した知多鉄道(現・名鉄河和線)への対抗策として実施された気動車列車の運転開始・列車増便(1933年8月実施)にあわせて新設された駅の一つである〔『新修半田市誌』本文篇中巻、353-358頁〕。
同時に開業した他の駅と同じく旅客専用の駅であったが、1944年(昭和19年)から貨物荷物の取り扱いを開始した。しかし他の武豊線の駅と同様に、1975年(昭和50年)に貨物、1984年(昭和59年)には荷物の取り扱いを終了し、開業時と同様の旅客専用の駅となったまま1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化を迎え、JR東海に継承されている。
中部国際空港(セントレア)開港前は当駅で分岐して知多半島を東西に横断し、現在の中部国際空港駅に至る空港連絡鉄道の新設が検討されていた〔名古屋方面と空港の連絡のみならず、将来的には武豊線 - 名鉄三河線 - 愛知環状鉄道線を結ぶことで新空港から2005年日本国際博覧会(愛知万博)会場へのアクセスルートとしたり、新空港と東海道新幹線三河安城駅ミニ新幹線で結ぶことも検討されていた。〕〔『中日新聞1993年3月27日朝刊3面3頁「中部新空港 鉄道アクセスで4案 中経連委整備構想 道路網も広域化図る」〕〔『中日新聞1995年2月16日朝刊1面1頁「中部新空港の鉄道アクセス 開港時は名鉄常滑線活用 愛知県が8路線調査 段階整備の方針」〕〔空港アクセスの地下利用に関する基礎研究 - 土木学会 pp.237〕〔平成9年第1回常滑市議会定例会会議録(第2号) - 1997年(平成9年)3月6日(木曜日)〕が、2005年2月17日の開港までには実現せず、開港から10年が過ぎた2015年現在も具体的な動きはない。これは、新たに敷設する区間が比較的長いという理由のほか、構想が浮上した1990年代当時は全線が単線非電化だった(2015年現在は全線が単線電化されている)上、最高速度も85km/hと遅く最大6両編成(20m級大型車両)までしか入線できないなど輸送力が小さかったため、当駅以北の既存区間の全面改良(複線化・電化・高速化ホーム延長などの輸送力増強)を含めた事業費が多額にのぼる(約1,000億円以上)とされたことが理由にある。結局、中部国際空港への連絡鉄道は名古屋鉄道(名鉄)常滑線の延伸のみが対象となり名鉄空港線として実現した〔名古屋臨海高速鉄道あおなみ線名古屋臨海鉄道南港線愛知環状鉄道線三河上郷駅付近から分岐し、三河安城駅を経て武豊線乙川駅に至り、前述の延伸区間に至るルートも連絡鉄道線の候補に挙がっていたが、いずれも実現しなかった。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「乙川駅」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.