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乙息記可汗 : ミニ英和和英辞書
乙息記可汗[いつしょくきかがん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おつ, きのと]
  1. (adj-na,n) 2nd in rank 2. second sign of the Chinese calendar
: [いき]
 【名詞】 1. breath 2. tone 
: [き]
 (n,n-suf) chronicle
: [か]
  1. (n,n-suf) passable 

乙息記可汗 : ウィキペディア日本語版
乙息記可汗[いつしょくきかがん]
乙息記可汗(いつしょくきかがん、拼音:Yǐxījìkĕhàn、? - 553年)は、突厥可汗伊利可汗の子(『周書』)。乙息記可汗というのは称号で、姓は阿史那氏、名は科羅という。『隋書』では伊利可汗の弟で逸可汗と表記。
== 生涯 ==
西魏廃帝元年(552年)、伊利可汗が死に、その後を継いで大可汗に即位し、乙息記可汗と号す。乙息記可汗は早速、柔然可汗の鄧叔子沃野鎮の北の木賴山にて破る。
西魏廃帝2年(553年)3月、乙息記可汗は西魏に遣使を送って馬5万匹を献じた。乙息記可汗が病死し、弟の俟斤(イルキン:官名)が立ち、木汗可汗と号した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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