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九二共識(きゅうにきょうしき)とは、中華人民共和国と中華民国(台湾)の当局間で「一つの中国」問題に関して達成したとされる合意の通称である。名称は、中国側窓口機関海峡両岸関係協会と台湾側窓口機関海峡交流基金会が1992年に香港で行った協議に由来し、2000年4月に台湾の行政院大陸委員会主任委員蘇起が名付けて公表した。日本では92コンセンサス、92年コンセンサス、92年合意などと訳される。 合意内容について、中華民国側の主張は「双方とも『一つの中国』は堅持しつつ、その意味の解釈は各自で異なることを認める」(いわゆる一中各表)であり、中華人民共和国側の主張は「双方とも『一つの中国』を堅持する」(いわゆる一中原則)であるため、必ずしも一致していない。 ==概説== 1949年、中国大陸の国共内戦を経て中国を掌握した中国共産党が中華人民共和国を樹立し、中国国民党の指導する中華民国(国民政府)は台湾・台北に遷都した。その後、中台双方の政権は長年、互いに相手を「反乱団体」と呼び、「二つの中国」は絶対に認めず「中国統一」を目指すという立場を堅持しながら対峙してきた。 1980年代後半に中台間の民間交流が一部解禁されたのに伴い、1991年に中台双方が民間の形式で窓口機関を設立(中国側:海峡両岸関係協会、台湾側:海峡交流基金会)、当局間の実務交渉が始まった。当初、中国側は「一つの中国」原則を協議事項に入れるよう強く要求したが、台湾側は「中国とは中華民国である」とする立場を譲らず拒否した。しかし、1992年の香港協議を通じて「一つの中国」原則を堅持しつつ、その解釈権を中台双方が留保する(いわゆる一中各表)という内容で口頭の合意が成立したという。これが九二共識といわれるものである。 しかし、1992年当時は合意が公表されたことはなく、1993年の双方窓口機関トップ会談でも合意が文書化されることはなかった。「九二共識」の存在は、2000年総統選で台湾独立を掲げる民進党出身の陳水扁が当選した直後、対中政策・交渉を所管する行政院大陸委員会主任の蘇起が初めて明らかにしたものである。蘇起は、1990年代の中台交渉の前提として「九二共識」があったとの見解を発表した。しかし、当時の陳水扁総統、李登輝元総統、黄昆輝行政大陸委員会元主任、辜振甫海峡交流基金会理事長らは、挙ってそのような合意は存在しないと反論し、台湾で一大論争となった〔自由時報(2005年3月5日)「辜振甫元海基会理事長、回想録で『九二共識は存在しない』」 〕。 台湾の論争が覚めやらぬまま「九二共識」肯定派の連戦国民党主席が2005年4月29日、胡錦涛共産党総書記との国共トップ会談を行い、両党の合意事項として初めて「九二共識」の文言が明記された(ただし「一中各表」は盛り込まれなかった)。民進党政権下の行政院大陸委員会は、「九二共識」は存在しないとの公式見解を発表したが〔行政大陸委員会の声明(2007年11月2日) 〕、国民党は当時の双方のやりとりの中に合意が存在したことがうかがえる資料が存在するなどと主張して「九二共識」を党の政治綱領に盛り込んだ〔中国国民党政治綱領 〕。 さらに、2008年総統選を経て政権を奪回した国民党の馬英九総統が「九二共識」を基礎に中台関係を促進すると方針を決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九二共識」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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