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九二式歩兵砲(きゅうにしきほへいほう)は、1920年代後期から1930年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の歩兵砲。1個歩兵大隊に対し本砲2門を擁する大隊砲小隊が付随するため、「大隊砲(大隊歩兵砲)」の通称を持つ。 == 概要 == 従来使用されていた十一年式平射歩兵砲及び、十一年式曲射歩兵砲を統合後継する砲として開発された。十一年式平射歩兵砲は口径が37mmと小さく榴弾の威力は限定的なものであり、十一年式曲射歩兵砲は榴弾威力は高いものの迫撃砲のため直射(平射)が不可能であるほか、前装式で二重装填事故を起こしやすいのが欠点だった。 本砲は十一年式曲射歩兵砲と同口径で榴弾の威力半径も同等であるが、平射・曲射双方が可能であり、後装式で螺式閉鎖機を持つ〔「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」78頁。〕通常の火砲の形態となっている。他の野砲・山砲・軽榴弾砲等と比較すると初速は低く抑えられ、その分弾殻が薄いため、榴弾の炸薬量は多かった。他方、低初速のため口径70mmながら徹甲弾の威力は低く、100mで30mm、500mで25mm、1000mで20mm程度の貫徹力しか持たなかった〔「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」79頁。〕。そのため大戦後半には成形炸薬弾(タ弾)の三式穿甲榴弾(装甲貫徹長90mm)が多数生産・配備されている。 また、平射・曲射両用の火砲として開発されたものの、実際の性能としては砲身が約11口径と短く初速も低いため、命中精度は「連隊砲(歩兵連隊砲・連隊歩兵砲)」として歩兵連隊に配備されていた四一式山砲などと比較すると特に劣り、射程も短かった。また大口径ゆえに発射音・発砲炎ともに大であり、平射で直接狙える位置に砲を据えると速やかに敵の応射を受けることになるため、実質的にはトーチカ等の銃眼潰しや自衛戦闘を除いて平射で射撃を行う機会は少なかった。これらの点から、平射の機能を持たせたことで通常形式の火砲としたことに対し、大隊砲は軽量な迫撃砲形式にすべきだったとする批判もある。 弾薬(砲弾)は半固定式となっており、装薬量は弾道に合わせて数種変更選択して使用できるようになっていた。薬莢は再利用可能で、発射の度に薬莢底に点が打たれるので使用回数が分かるようになっていた。 クランク式の車軸を持ち、高姿勢・低姿勢を選択可能であり、なおかつ低姿勢でも曲射可能なことが特徴である。高姿勢では+13~+70度、低姿勢では-6~+51度(但し+28度以上の仰角を取る場合は地面を掘って砲尾が干渉しないようにする必要がある)の俯仰が可能である〔「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」78頁。〕。 車輪は初期には複数の鋼鈑を円形に繋ぎ合わせた物であったが、敵陣への接近時に車輪がきしむ音が気になるとの理由から、1935年(昭和10年)1月、一枚の鋼鈑を円形に打ち抜いて製造し外周を木製とした物に制式改正された。その後、日中戦争(支那事変)においてこのタイプの抗力不足が指摘され、1939年(昭和14年)、陸軍造兵廠名古屋工廠が試製した木製スポーク式の車輪に再度改正された。一枚物鋼鈑製の車輪も終戦まで使用されている〔「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」52-53頁。〕。 1930年代後期には迫撃砲である九七式曲射歩兵砲が制式化されたものの、ストークブラン式迫撃砲の特性として、命中精度が本砲と比較してさらに劣るため多数の弾薬が必要になること、前装墜発式曲射砲であり平射が難しく銃座潰しや対車輌射撃で不利なこと、および本砲がすでに広く普及しており改編に際して訓練や戦術を変更する必要が生ずることなどの理由もあり、また九七式曲射歩兵砲自体が九二式歩兵砲の代替・後継を目的としたものではない、限定的な運用を前提とし制式化された歩兵砲であったため、本砲を全面的に更新するには至っていない。 本砲は大阪陸軍造兵廠(旧大阪工廠)と名古屋陸軍造兵廠(旧名古屋工廠)で推定約3,000門が生産された〔「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」53頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九二式歩兵砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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