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九二式重爆撃機(きゅうにしきじゅうばくげきき)は、1930年代の大日本帝国陸軍の試作重爆撃機。キ番号(試作名称)はキ20。呼称・略称は九二式重爆、九二重など。 本機の設計元はドイツのユンカース社が開発したユンカース G.38大型旅客機であり、キ20としての製造はそのライセンス生産権を買い取った三菱重工業により生産された。設計主務者は仲田信四郎技師。 当時としては世界的にも破格の大型機であり、翼幅・翼面積は後に開発されるアメリカ陸軍航空軍のB-29よりも大きく、また後にも先にも日本陸海軍機(日本機)中最大の機体であるため、内外において俗に九二式超重爆撃機、超重爆撃機、超重爆とも称されていた。しかしながら製造中に時代遅れの機体になってしまい、生産は6機で打ち切られ実戦参加することなく退役した。 == 開発経緯 == 1920年代末、帝国陸軍では将来フィリピンに侵攻する可能性を考慮し、その際に障害となるコレヒドール島のアメリカ軍基地を台湾から長距離爆撃できる機体を発案した。また仮想敵国であったソ連赤軍が大型爆撃機ツポレフ TB-4を開発中との情報もあり、それに対抗できる同等性能の機体が欲されていた〔ただしTB-4は性能に問題を抱え、結局試作段階で開発は打ち切られることになる。〕。そのような経緯により、三菱に大型爆撃機の開発が命じられることとなった。 1928年(昭和3年)2月の本機の決済案では、「''方今世界ニ於ケル軍事航空進歩ノ趨勢ニ鑑ミ帝国陸軍ニ於テモ国内陸上根拠地ヨリ船舶輸送ニ由ルコトナク直接主要作戦地ニ独立飛行シ爆撃及偵察ニ任シ得ヘキ行動半径大ナル超重爆撃機''(後略)」とされていた。 当時の日本の技術水準では大搭載量と長距離飛行とを同時に実現できる4発大型機の自力開発は無理であったため、その頃世界最大の単葉陸上機だったドイツのユンカース G.38大型旅客機(正確には同型のユンカース K.51重爆撃機〔当時のドイツはヴェルサイユ体制下にあったためK.51は本国では生産できず、他のヨーロッパの国々でも生産されることはなかった。〕)の製造ライセンスを1928年に三菱が購入し、それを参考にして機体開発を行うこととした。設計・製作にあたってはユンカースの技術者を日本に招聘し、陸軍の指導監督の下で極秘裏に開発が進められた。なお1号機・2号機の主要部品はユンカースから購入・輸入したが(ノックダウン生産)、3号機以降は同社からの部品購入は最小限とし主に国産部品を使用した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九二式重爆撃機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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