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九五式陸上攻撃機(きゅうごしきりくじょうこうげきき)は日本海軍の陸上攻撃機である。設計・製造は広海軍工廠。当時の日本海軍が保有する最大の機体だったが性能向上の余地が無く、後続の九六式陸上攻撃機が画期的な性能を発揮する見通しとなったため、少数の生産で終わった。略符号はG2H1。少し遅れて採用された九六式陸上攻撃機が「中攻」と呼称されたのに対し、本機は「大攻」と呼ばれた。 == 概要 == 軍縮条約によって航空母艦の保有量が制限されたということは艦隊決戦に参加出来る航空戦力が制限されるということであり、これを補うために陸上基地より決戦海面へ到達可能な航空戦力(陸上攻撃機)が求められた。天候によって運用の制限を受ける飛行艇の代わりに陸上基地から遠距離哨戒や攻撃が出来る大型機という構想により、昭和7年から当時大型機開発の経験があった広海軍工廠で、当初「広廠七試特種攻撃機」(広廠七試特攻)として開発が進行された。試作機は昭和8年(1933年)4月29日に完成し、翌5月の初飛行には、陸上攻撃機の発案者である海軍航空本部長松山茂中将の下で本機の計画に携わった山本五十六海軍航空本部技術部長も立ち会った。 細長い機体に大面積の主翼を有した全金属製の双発機で、全幅約32m、全備重量11t(搭載量2tを含む)という当時の日本海軍においては最大の陸上機となった。エンジンは当時最も強力だった九四式一型発動機の双発とした。本来は双発艦上攻撃機であった九三式陸上攻撃機が1トン魚雷1本懸吊で考えられていたところに対し、大型陸上攻撃機である本機では1トン魚雷2本懸吊が想定されるようになった。 当時の最強力発動機をもってしても11tの巨体に対しては非力で、速度性能、上昇性能等の飛行性能はあまり芳しくないものだった。加えて、細い胴体の剛性不足による尾翼の振動や補助翼の大仰角旋回時のフラッター、エンジンの不調などの改修に手間取り、九五式陸上攻撃機として制式採用されたのは昭和11年になってからだった。この頃「八試特殊偵察機」の名で開発が進み九五式よりもやや遅れて採用された九六式陸上攻撃機の開発が進んで優秀な性能を示しており、本機の生産は試作機を含めて8機で打ち切られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九五式陸上攻撃機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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