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九島村(くしまむら)は、愛媛県北宇和郡にかつてあった村である。1934年(昭和9年)9月1日に宇和島市へ編入された。愛媛県の南に位置し、宇和島港の湾口の中南部に位置する漁村であった。 == 歴史 == === 略史 === ;藩政期 :藩政期から漁業で生計を立てていた。元禄の頃より土居家が庄屋を務め、明治維新まで続いた。 :幕末期(元治元年)樺崎砲台の向側、戎山に砲台が築かれた。 ; 明治期 :明治期に「九島浦」として統一され、町村制の施行により「九島村」となった。島方(九島)と地方(じかた、四国本土側)とに分かれてはいたが、村としてまとまりを有していた。 ; 合併前後の事情 :大正時代末ころから話としてはあったが、1928年(昭和3年)ころから(当時の)宇和島市と接する保手・戎山の集落が合併を希望し、後に坂下津集落も加わった。当時は3地区は分村・編入には希望が具体化していた。九島村当局では分割(分村)に難色を示したため、先の3集落では村税を納めないことを表明し知事(宇和支庁)に申し立てる事態になった。結局、分村は回避され1934年(昭和9年)に合併した。 :合併が必要とされた背景には、宇和島港整備の必要性、近江帆布工場(藩政時代には日振新田、近江帆布後に敷島紡績、戦時中は海軍航空隊に一時接収された,現在は坂下津産業団地として整備されている)の来川河口付近への誘致問題が発生していたことの二つの大きな要因がある。これらに対応し県道整備計画が浮上し、整備が合併の一つの条件となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九島村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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