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九州誠道会 : ミニ英和和英辞書
九州誠道会[きゅうしゅうせいどうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [く]
  1. (num) nine 
九州 : [きゅうしゅう]
 【名詞】 1. southern-most of four main islands of Japan 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [まこと]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

九州誠道会 : ウィキペディア日本語版
九州誠道会[きゅうしゅうせいどうかい]

九州誠道会(きゅうしゅうせいどうかい〔 2009年 ''警察庁'' ― p.21 『キューシュー・セイドーカイ』〕、単に“誠道会”とも〔『誠道会ナンバー2狙った犯行か 佐賀の病院発砲死傷』 2011年4月7日 ''産経新聞''〕)は、日本福岡県に本部を置く暴力団〔, December 2009, ''National Police Agency'' 〕。指定暴力団『九州誠道会本部など3カ所捜索 20日夜の爆発物事件』 2012年12月22日 ''47NEWS共同通信''〕。福岡県南部の大牟田市に本部を置き、東京都を含む1都5県に展開している〔, April 2011, ''警察庁''〕。2013年に九州誠道会は解散を宣言したが、後進団体である浪川睦会(なみかわむつみかい)は同一団体とみなされており、引き続き指定暴力団の適用下に置かれている。
設立のときから爆弾自動火器などの武器類を多用した極めて激しい武装抗争をもって知られてきた組織で、その相手はかつての上部団体にあたる道仁会"Gangster tied to slaying in Saga hospital arrested" , 26 November 2007, ''The Japan Times'' 〕。
2000年代中盤頃に勃興したその武力紛争の過程において、九州誠道会は非武装の民間人を含む数多の死傷者を生み出す事件の当事者となってきた〔"Firing on a car belonging to a Dojin-kai insider, possibly from a conflict with the Seido-kai" , 30 March 2011, ''Yomiuri Shimbun''〕。そうしたことから九州誠道会は、その設立から2年目にあたる2008年に、暴力団対策法に基づく指定暴力団への登録を受けた〔"National Police Agency searches the Kyushu Seidokai's office, for blackmail among others" , 31 October 2008, ''Sankei Shimbun''〕。
2012年より、改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”に認定された。〔『3暴力団「特定指定」に決定=道仁会、九州誠道会、工藤会—福岡県公安委』 2012年12月20日 ''ウォールストリートジャーナル''〕。道仁会との抗争を経て2013年に解散を宣言。後進の「浪川睦会」は同一団体として2014年6月まで適用下に置かれた。
== 来歴 ==
道仁会第二代会長の松尾誠次郎が2006年をもって引退。これに伴う後任人事案を巡って組織内に亀裂が走り、続けて傘下松尾組の組長であった大中義久の次代会長への就任が決定すると、最大規模の傘下組織であった村上一家ならびにその他数組織が強硬に反発。これを受けて道仁会は村上一家の総長すなわち村神長二郎らを絶縁処分としたが、すかさず道仁会を離脱した村上一家ほか数組織が同年6月に新たな団体を結成。これが九州誠道会の起こりであった。〔『武雄病院射殺事件:事件の経緯』 (1/2) 2008年3月17日 ''佐賀新聞''〕
そのまま抗争に突入し、翌2007年の8月18日、福岡市中央区黒門の路上で大中義久を襲撃したうえで射殺。それを境に抗争は一気に激化した。〔『暴力団抗争と武雄事件』 2009年2月4日 ''西日本新聞''〕
2007年の11月には佐賀県武雄市の医院で無関係の市民が誠道会関係者と誤認され射殺される事件(佐賀入院患者射殺事件)が発生〔『火炎瓶放火?:九州誠道会系事務所焼く 会長継承に関係か』 2008年4月14日 ''毎日新聞''〕。翌2008年の2月に指定暴力団への登録を受理〔, April 2008, ''National Police Agency''〕。3月には道仁会とのこの抗争の終結を願う意思を捜査当局に伝えていたことが判明〔『九州誠道会vs道仁会「抗争終結したい」』 2008年3月19日 ''産経新聞''〕。誠道会二代目会長と誠道会系永石組組長を名乗る2名が武雄の件の被害者遺族宅を訪れたうえで、謝罪の意を伝えるとともに、抗争終結の意向を記した会長名義の文書を手渡していたことも判明した〔『九州誠道会関係者が遺族に謝罪』 2008年3月20日 ''佐賀新聞''〕。やがて村神の引退に伴い、時の幹部であった浪川政浩が4月に二代目の会長に就任〔。
2009年の夏頃には、この抗争に係る死者を弔うという名目の忠魂碑を誠道会が建立したことが確認された。大牟田市内の民間墓地に建てられたこの碑は、誠道会側のそれのみならず、道仁会側の死者の名前も刻んでいた。しかしながらこの碑は2011年の1月までに何者かの手によって撤去されたことが確認された。撤去した人物や撤去先は不明となっている。〔 2011年1月20日 ''福岡県公安委員会'' および 『誠道会の忠魂碑撤去』 2011年1月18日 ''読売新聞''〕
しばらくは鳴りを潜めていた道仁会との抗争であったが、2011年に再燃した〔『暴力団抗争、県内死者3人 報復連鎖の「非常事態」』 2011年9月22日 ''佐賀新聞''〕〔『路上に手投げ弾? 大牟田の誠道会系事務所前』 2011年4月15日 ''読売新聞''〕。
2012年10月に改正暴対法が施行され、道仁会とともに同年12月に特定抗争指定暴力団に指定された。
2013年6月11日、福岡県警久留米署に対し、解散届を提出した〔。提出した解散届には「解散することが一般社会の不安を取り除く唯一の手段で、九州誠道会の解散を決定」などと書かれていた。
2013年10月、浪川を会長とする新団体・「浪川睦会」が設立された。福岡県公安委員会は構成員が九州誠道会とほぼ同一であるとして、九州誠道会に対する特定抗争指定暴力団の指定を浪川睦会に承継する決定を行った〔九州誠道会:「浪川睦会」に名称変更 福岡県公安委員会 (毎日新聞、2013年11月28日)〕。特定抗争指定暴力団への指定は当初の2012年12月の指定から九州誠道会時代・浪川睦会時代を合わせて5回延長されたが、その後抗争が沈静化したため、2014年6月26日をもって解除された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「九州誠道会」の詳細全文を読む




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