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東鉄線(とうてつせん)は、香港九龍の紅(ホンハム)駅と新界の羅湖駅を結ぶ香港鉄路(港鉄(MTR))の鉄道路線である。元九広鉄路(英段)および、九広東鉄。 東鉄線の支線としては、沙田駅から分岐する馬場支線と上水駅から分岐する落馬洲支線がある。また大囲駅から分岐する馬鞍山線についても、東鉄線の支線といえる。 == 概要 == 当路線は、香港で最も早く開通した路線で、『』と『羅湖(Lo Wu)』との間を結んでいる。1898年に当時香港を植民地として統治していたイギリスと、清国政府との間で鉄道敷設権が取得され、九龍~広州間の 178.7km が建設される。英中の協議により、羅湖にある深圳河の国境を境に、香港側(九広鉄路 (英段), KCR British Section)の 35.5km はイギリス政府が、中国側(九広鉄路(華段))の 143.2km は清国政府がそれぞれ建設を担当した。中華民国が建国される前年の1911年に九龍~広州間が全通した。 なお当時のターミナル駅は現在とは異なり、九龍駅は尖沙咀のフェリー乗り場横で、現在でも鉄道駅のあった名残として駅舎の時計塔が残っている。一方、広州のターミナル駅は市街東部の大沙頭に置かれ、広州から北京方面へ向かう粤漢鉄路(広州~武昌間)のターミナル駅だった市街西部の黄沙駅とは離れ、接続していなかった。 香港のガイドブック等で「かつてはシベリア鉄道を経由して、香港発ロンドン行きの列車も走っていた」という記載を見かけるが、誤りである。広州市内に乗り入れていた鉄道各線が接続され、各ターミナル駅を統合して現在の広州駅が建設されたのは、1949年の中華人民共和国の建国とそれに伴う鉄道国有化後である。 開通当初は起点から終点まで直通運転されていた九広鉄路だが、1949年の中華人民共和国の建国により国境の深河の両サイドには羅湖駅(Lo Wu) とが設置され、この間には出入境手続き(イミグレーション)の施設羅湖口岸が設けられた。その為、路線はこの両駅が香港側と中国側の終点となり、九広鉄路は事実上分断されてしまった(ただし貨物列車は間もなく直通運転を再開した)。現在九広鉄路は、羅湖と深を境に香港側のかつて英段と呼ばれていた部分を香港鉄路有限公司が、中国側の「華段」と呼ばれていた部分は、中国国鉄として国有化された後、1990年代に民営化され、現在は広深鉄路股份有限公司(Guangshen Railway Company Limited)が運営している。中華人民共和国側では広深線、或いは広深鉄路、と呼ばれる。 香港側では、1975年に始発駅の九龍駅が九龍半島東側の(Hung Hom)地区へ移転した後、1998年にMTR機場快線(エアポートエクスプレス)が開通して機場快線「九龍駅」が開業したのに合わせてと改称された。1978年には紅~広州間で旅客列車の直通運転が再開された。1983年、香港側が電化され、それまでディーゼル機関車が客車を牽引していた路線には通勤電車が走る様になり、沿線は超高層アパートが立ち並ぶベッドタウンとして開発された。 2004年10月24日には、紅駅よりかつて九龍駅のあった尖沙咀まで路線が地下線として延伸され、終点は尖沙咀の東に位置する尖東駅(East Tsim Sha Tsui)となっていた。その後、2003年に九龍西側の南昌駅(Nam Cheung)まで開通していた西鉄線(旧九広西鉄)の延伸工事が行われ、2009年8月16日に尖東駅へ接続され開通。これにより、東鉄と西鉄が一本の路線で結ばれる事となった。また東鉄の起点は紅駅へと戻った。 また、紅駅~広州東駅、広東省の仏山駅経由肇慶駅まで直通の広九直通列車が運行されている他、北京や上海へ向けても隔日運転で列車が運行されている。全ての中国本土行き列車の始発駅は紅駅であり、出入境手続き(イミグレーション)はこの駅で行われる。また、境界沿いに位置する羅湖駅は、香港と深を行き来する出入境者専用の駅となっており、羅湖村住民を除いてこの駅での乗降によって駅舎外に出入りする事は出来ない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東鉄線」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 East Rail Line 」があります。 スポンサード リンク
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