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九条稙通 : ミニ英和和英辞書
九条稙通[きゅうじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [く]
  1. (num) nine 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

九条稙通 : ウィキペディア日本語版
九条稙通[きゅうじょう]

九条 稙通(くじょう たねみち) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・古典学者。五摂家の一つ、九条家の第16代当主。
== 生涯 ==
永正4年(1507年)、九条尚経嫡男として生まれる。やがて元服し、九条満家以来の九条家の慣例により、室町幕府第10代将軍足利義稙より偏諱を賜い稙通と名乗る。一字名に。若い頃は経済的に困窮し、堺や九州あたりに住んだこともある、と伝わる〔『日本史伝文選(戴恩記)』〕。
永正11年(1514年)、父・尚経が従一位に叙せられたのと同時に、稙通も従三位に叙せられる。その後内大臣を経て、天文2年(1533年)には関白および藤氏長者となったが、一年ほどの在席の後、経済的困窮のため未拝賀のままに翌年の天文3年11月末に辞任。経済的困窮から摂津や播磨方面に居住する。天文15年(1546年)、九条家の墓所である東福寺塔頭の大機院を重修。弘治元年(1555年)、従一位に叙せられるが、まもなく出家して行空恵空を名乗る。その後は粗末な庵に住み、風雅と修行(後述)に勤しんだと伝わる。天正元年(1573年)冬、洛西嵯峨野方面を探訪した紀行文である『嵯峨記』を記す。 天正4年(1576)頃、安芸に下向しており、現地で源氏物語を講義したことを示す史料がある。
実子として畿内の戦国大名三好氏の一族である十河一存正室となった一人娘がいたが、男子には恵まれず、二条家に嫁いだ実妹・経子(つねこ)の孫である兼孝を養子に迎え、天正2年(1574年)5月には、家領・家伝記録類を兼孝に譲った。また、顕如を猶子としており、こののち天文18年(1549年)に証如から金銭的援助を受けたり、養孫の代に至り東本願寺西本願寺の両者を結び付くなどの本願寺と九条家との縁が生じることとなる。
文禄3年(1594年)に死去(享年88)。
外祖父(母方の祖父)である三条西実隆の影響を強く受け、古典研究者としても名高い。実隆は稙通に対し『詠歌大概』を講じた上で天正2年に『源氏物語三ヶ大事相伝切紙』、同4年に稙通と中院通勝に対し『百人一首』を伝授した。稙通自身は享禄2年(1529年)に一条兼良の『伊勢物語愚見抄』を書写した『伊勢物語九条禅閤抄』を始め、源氏物語の注釈書として名高い『孟津抄』、天文24年書写の『古今集秒』など多数の書物を著している。『山路の露』『巣守』などのいわゆる「源氏物語の類」についても著作がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「九条稙通」の詳細全文を読む




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