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九条 良通(くじょう よしみち、仁安2年11月6日(1167年12月19日) - 文治4年2月20日(1188年3月19日))は、平安時代末期の公卿。摂政関白・九条兼実の長男。母は藤原季行の娘。妻は花山院兼雅の娘。官位は正二位・内大臣。九条内大臣、冷泉内大臣と号す。 == 経歴 == 九条兼実の嫡男として周囲の期待を受けて育ち、また叔母の皇嘉門院聖子の猶子となる。承安5年(1175年)従五位上に初叙。侍従・右近衛中将を経て、治承2年12月(1179年2月)従三位に叙せられ公卿に列す。治承3年(1179年)従二位・権中納言兼右近衛大将、養和2年(1182年)権大納言と摂関家の子弟として順調に昇進し、文治2年(1186年)摂政・近衛基通の失脚に伴い父・兼実が摂政に任ぜられた6ヶ月後、上位者5人を越えて20歳にして内大臣兼左近衛大将に昇る。しかし、2年後の文治4年(1188年)に病を得て急死した。享年22。良通の急死に衝撃を受けた父の兼実が出家を考えたほどという。 良通の早逝のため、九条家の嫡流は同母弟の良経に受け継がれることとなった。なお、良通が聖子から継承した最勝金剛院領などの皇嘉門院領は、後の九条家の家領の源流となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九条良通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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