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九鬼嘉隆 : ミニ英和和英辞書
九鬼嘉隆[くきよしたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [く]
  1. (num) nine 
: [おに]
 【名詞】 1. ogre 2. demon 3. it (i.e. in a game of tag) 

九鬼嘉隆 : ウィキペディア日本語版
九鬼嘉隆[くきよしたか]

九鬼 嘉隆(くき よしたか、)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である。
志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、3万5,000石の禄を得た。こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。
== 生涯 ==

=== 前半期 ===
天文11年(1542年)、九鬼泰隆が志摩国英虞郡での拠点とする波切城三重県志摩市大王町波切)で、定隆(泰隆の嫡男)の三男として生まれる。母は英虞郡甲賀(志摩市阿児町甲賀)の出身とされる。泰隆には城が二つあり、答志郡田城城鳥羽市岩倉町)では、定隆の長男・浄隆が生まれている。
九鬼氏の出自は不詳であるが、家伝書には藤原北家の子孫で、紀州九鬼浦(現在の尾鷲市九鬼町)から志摩波切の川面氏の養子に入った隆良が武勲を上げ、地元の五奉行と呼ばれる者に推されて地頭になった。しかし隆良には子がなく、英虞郡和具(志摩町和具)の青山豊前の次男を養子にしたと記させた。嘉隆は血が繋がらないものの隆良から数えて6代目に当たる。
天文20年(1551年)、定隆の死去により、家督は長兄である浄隆が継いだ。永禄3年(1560年)、志摩の地頭のうち、12人が伊勢国司北畠具教の援助を受けて田城城を攻めた。嘉隆は城主浄隆を助けていたものの、浄隆は戦の最中に死亡してしまい、嘉隆は浄隆の子・澄隆を助けたが、城主を失った九鬼側は戦意を失い惨敗する。そして嘉隆ら残党は朝熊山へ逃亡した。その後、嘉隆は滝川一益の仲介により、桶狭間の戦いを制して勢いに乗る織田信長に仕えたとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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