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九鬼 紫郎(くき しろう、1910年4月18日 - 1997年11月13日)は、日本の小説家、推理作家、時代小説作家。神奈川県横浜市生まれ。探偵小説や時代小説を執筆したほか、探偵雑誌『ぷろふいる』の編集長を務めるなど、編集者としても知られる。 本名は森本紫郎(もりもと しろう)。1931年のデビュー時から九鬼澹(くき たん)というペンネームを使っていたが、1953年ごろから九鬼紫郎(くき しろう)を名乗った。ほかに、三上紫郎(みかみ しろう)、霧島四郎(きりしま しろう)、石光琴作といったペンネームも一時期使用した。 == 経歴 == === 生い立ち === 1910年、神奈川県横浜市に生まれる。15歳のころに父を、17歳のころに母を亡くす。兄は横浜の貿易会社に勤めていたが、1923年の関東大震災で打撃を受けて会社が神戸に移っており、母が亡くなると紫郎も兄を頼って神戸に移り住んだ。 探偵作家の甲賀三郎に作品を送ったのをきっかけに上京し、渋谷の甲賀宅で書生として1年半ほどを過ごす。その間、1929年から翌年にかけて刊行された春陽堂の「探偵小説全集」の編集を手伝った。1931年、『探偵』に九鬼澹名義で短編小説「現場不在証明」を発表しデビュー。その後、赤面症になり、東京から神戸に戻る。神戸では、当時の西の探偵文壇の大物だった山本禾太郎や西田政治と交流し、戸田巽や、のちに酒井嘉七とも親しくした。1933年に京都で探偵雑誌『ぷろふいる』が創刊されると、創刊号から探偵小説評や短編小説などを寄稿。その後、山本禾太郎の紹介で、伊東利夫から引き継いで『ぷろふいる』の二代目編集長となり、神戸から京都に移って、1935年10月号から最終号(1937年4月号)までの編集を務めた。編集長としては、中村美与などを世に出した。後に編集部を東京に移すが、出資者の事業上の失敗のため、『ぷろふいる』は1937年4月号をもって廃刊となった。 その後は、三上紫郎名義で時代小説やスパイ小説などを発表したが、この時期について詳細は明らかになっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九鬼紫郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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