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乾 信武(いぬい のぶたけ、1778年(安永7年) - 1810年8月2日(文化7年7月3日))は、土佐藩馬廻役、家禄300石。諱は信武、幼名は鹿次郎。字は左近兵衛と称し、のち庄右衛門と改めた。板垣退助の祖父。土佐の奇人(いごっそう)として知られる。 == 来歴 == *1778年(安永7年)、高知城下中島町の拝領屋敷にて、土佐藩士乾丈右衛門正聰の長男として誕生。母は林藤左衛門勝周の女。 *1786年3月14日(天明6年2月15日)、藩主山内豊雍に惣領御目見え仰せ付けられる。 *1798年1月22日(寛政9年12月6日)、御火消方御用を以て、御家中・町方共、火用心番を仰せ付けられる。 *1806年2月6日(文化2年12月18日)、亡父正聰の跡目無相違下し置かれる。 *1806年10月9日(文化3年8月28日)御使母衣(従六位)を賜わる。 *藤並大明神の御宮が建立された際、寄付金を差出した件について、1808年6月27日(文化5年6月4日)土佐藩主山内豊興が御満足に思召され、親しく御褒詞を賜わる。 *1810年3月29日(文化7年2月25日)役料銀7枚を成遣わされ、江戸詰めの勤務を仰せ付けられ、1810年8月2日(文化7年7月3日)江戸の藩邸にて卒去した。享年33。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「乾信武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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