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乾安儔 : ミニ英和和英辞書
乾安儔[いぬい やすとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ほし]
  1. (pref) dried 2. cured
: [ちゅう]
 【名詞】 1. companion 2. similar kinds

乾安儔 : ウィキペディア日本語版
乾安儔[いぬい やすとも]

乾 安儔(いぬい やすとも)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将弘前藩士。
元々は上方の出身と伝わる。津軽為信に仕えた。慶長13年(1608年)、藩内の御家騒動である津軽騒動の際には、津軽大熊の叔父で豪勇で知られた一戸清三郎一戸兵庫之助の長男)を自宅へ招き、騙し討ちにして殺害する功を上げる。
慶長17年(1612年)、高坂蔵人が南部へ脱藩を企てた際(高坂蔵人の乱)には、城内で安儔を初めとする5人で討ち取った。寛永2年(1625年)の青森港開港では、行政責任者の一人として尽力。同5年(1628年)7月には百沢寺(現・岩木山神社)山門作事奉行、同6年(1629年)7月には長勝寺三門作事奉行を務めた。
寛永11年(1634年)の船橋騒動では新参組の船橋長真に味方したため、幕府裁定により同13年(1636年)、伊予松山松平定行お預けとなった。
なお、津軽氏墓所である東京上野の津梁院の津軽信枚の墓前の石灯籠は、安儔が献じたものだという。
安儔の跡は3代藩主・津軽信義の弟が継承し、安俊と名乗った。
== 参考文献 ==

*「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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