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亀井 政矩(かめい まさのり)は、江戸時代前期の大名。因幡鹿野藩第2代藩主、のち石見津和野藩初代藩主。津和野藩亀井家2代。 鹿野藩初代藩主・亀井茲矩の次男。山中幸盛の義理の孫にあたる(血のつながりはない)。 == 経歴 == はじめ慶長7年(1602年)、徳川家康に仕えた。慶長9年(1604年)には豊前守の官位を叙され、徳川秀忠付の近習となった。慶長14年(1609年)に松平康重の娘と結婚し、慶長17年(1612年)に父が病死するとその跡を継いで鹿野藩主となった。 慶長19年(1614年)からの大坂の陣では、本多正信配下の軍に属した。元和3年(1617年)、石見津和野藩主だった坂崎直盛が凶行のために改易されると、その後を受けて津和野への移封を命じられた。元和5年(1619年)5月、福島正則が広島城の無断改築で改易となると、堀尾忠晴や森忠政らと共に城受け渡しの役を務めた。しかし政矩は、この頃から病中にあった。 同年8月、親しかった高台院に会うために上洛途上の伏見で落馬し、これが元で8月15日に30歳で死去した。跡は次男の茲政が継いだ。 なお、政矩には播磨国姫路藩に加増移封されるという話もあったが、早世したため実現せずに終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「亀井政矩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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