翻訳と辞書
Words near each other
・ 亀山連絡道
・ 亀山運輸区
・ 亀山郁夫
・ 亀山郵便局
・ 亀山郷
・ 亀山鉄道部
・ 亀山関テクノヒルズ
・ 亀山関町テレビ中継局
・ 亀山院
・ 亀山雄慈
亀山雲平
・ 亀山駅
・ 亀山駅 (ソウル特別市)
・ 亀山駅 (三重県)
・ 亀山駅 (兵庫県)
・ 亀山駅 (国鉄)
・ 亀山駅 (宜蘭県)
・ 亀山高校
・ 亀山高等学校
・ 亀山魁斗


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

亀山雲平 : ミニ英和和英辞書
亀山雲平[かめやま うんぺい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かめ]
 【名詞】 1. tortoise 2. turtle 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くも]
 cloud
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

亀山雲平 : ウィキペディア日本語版
亀山雲平[かめやま うんぺい]
亀山 雲平(かめやま うんぺい、1822年2月11日文政5年1月20日) - 1899年明治32年)5月6日)は幕末から明治にかけ、姫路藩士、儒学者神官、また教育者として活動した人物。名は初め恭吉、のち式毅、由之、敬佐、源五右衛門、美和、雲平を名乗る。号は曳庵、節宇。昌平黌に学び大目付として幕末期の藩政に携わるとともに、明治以後は姫路市に開いた「観海講堂」で後進の指導に尽くし「播磨聖人」と呼ばれた〔中嶋・中島(2007)、p.26〕。
==生涯==

===生い立ち、修学時代===
1822年(文政5年)、姫路藩士亀山百之、頼家夫妻の次男として姫路に生まれる。亀山家は曾祖父・成賢、祖父・成将、父・百之と学に親しみ、特に祖父と父は山崎闇斎門下(崎門学派)の朱子学を学んでいた〔中嶋・中島(2007)、p.26〕。こうした環境で幼い頃から父から学問の手ほどきを受けるが、父・百之は1831年天保2年)、雲平10歳の時に死去する。
1832年(天保3年)からは藩校好古堂に入り、角田心蔵に師事する。また姫路藩家老・河合寸翁が開いた仁寿山黌にも学んだ〔中嶋・中島(2007)、p.27〕。
1843年(天保14年)、兄・剛毅が急死し、悲嘆に暮れつつも亀山家の家督を相続し、140石を受ける。その後も学問に励み、同年には藩主・酒井忠宝より金5両を拝領したほか〔中嶋・中島(2007)、p.27〕、1846年弘化3年)12月には25歳にして好古堂助教授に任ぜられている。
1850年嘉永3年)、藩の抜擢を受けて江戸に上り、昌平黌(昌平坂学問所)で学ぶこととなる。昌平黌では佐藤一斎の門下につき、全国から集まった秀才たちの中で頭角を現し、のちの教育者としての素地を形づくる〔中嶋・中島(2007)、p.27〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「亀山雲平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.