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二つの中国(ふたつのちゅうごく、、、、)は、1949年以降「中国 (China)」の正統政府を自任し台湾海峡両岸で向かい合う二つの国家政権と、両者の関係・ありようについての政治上の概念。 * … 略称中国、他の名称として、新中国、中共、大陸、内地、中など。1949年中国大陸を掌握して10月1日成立した。国共内戦によって台湾島に退却してからも、依然として1970年代まで中国の国連代表権を保持していた中華民国から、東側諸国で計画したアルバニア決議などを実行する事で国連代表権を獲得した。これにより1970年代以降は中華民国に替わり、中華人民共和国が国際社会における中国政府として扱われるようになった。1990年後半以降香港やマカオという二つの特別行政区がある。 * … 建国から遷台までの略称中国は、中華民国を指す。ほかに国府、中華、華、台湾、台など。1912年に建国され中国大陸を掌握していたが、日中戦争や第二次世界大戦に連合国として参戦した中華民国政府は、米英ソと共に日本に対してポツダム宣言を提示して一時的に戦勝国となるが、戦後再開された中国共産党との国共内戦により中国大陸を失い、日本から返還されていた台湾島に退却し、遷都した。大陸側はほぼ全てが1949年に建国された中華人民共和国の支配下となり、1949年以降は台湾とその周辺地域の島嶼からなる台湾地区を実効支配している。 == 背景 == 1912年、愛新覚羅溥儀は辛亥革命により皇帝の座を追われ、南京で孫文を中心とした革命側が中華民国を建国する。同時期に、北洋軍閥総帥の袁世凱率いる北京政府が成立した。 1912年から1949年まで、中国では軍閥による闘争、日中戦争と国共内戦が起こった。この動乱の時代にはさまざまな短命政権が立て続けに成立した。袁世凱の北京政府(1912年 - 1928年)、中国共産党により設立された中華ソビエト共和国(1931年 - 1937年) 、中華共和国(1933年 - 1934年)、傀儡政権の満洲国(1932年 - 1945年)、汪兆銘政権 (1940年 - 1945年)などである。 国共内戦の結果、1949年に毛沢東率いる中国共産党は中国大陸を掌握し、中華人民共和国を成立させる。蒋介石率いる中華民国政府は同年中国大陸を離れ台湾を拠点とするようになる。 戦いはその後も数年続いたが、朝鮮戦争開始時には支配圏がくっきりと分かれるようになった。北京の中国共産党率いる中華人民共和国政府が中国大陸を勢力下に収めた一方で、中国国民党率いる中華民国政府は台湾と福州沿岸の島嶼を勢力下に残した。この状態は朝鮮戦争の後、台湾への侵攻を阻止したいアメリカ合衆国政府の意向と援助により生まれたものであった。 長年の間、二つの政府は中国唯一の正統政府の座をめぐって対立してきた。戦争終結から長期間が経過すると、主戦場は外交へと移った。1970年代以前は中華民国が国際連合を含む多くの国家に中国大陸と台湾を含む「中国」の正統かつ唯一の後継政府であると認識されていた。中華民国は国際連合設立当初の加盟国であり、中華人民共和国が正式な中国代表として認定される1971年まで安全保障理事会の五つの常任理事国の一つでもあった。建国後初期の中華人民共和国政府を正式な政府として承認した国は、東側諸国と非同盟諸国のほか、西側諸国ではイギリス(1950年)に限られた。1971年、国際連合総会は国際連合総会決議2758を採択し、蒋介石率いる中華民国の代表を中国の代表とみなすことをやめ、国際連合から追放した。この後、アメリカ合衆国を含むほとんどの国家が中華人民共和国を国家として承認した。中華民国はその後も中華人民共和国と中国の正統政府の座をめぐって対立していた。 しかし1990年以降、台湾独立運動の高まりにより、中国の正統政府をめぐる議論に代わり、台湾の政治的地位が主要な問題となった。台湾には、中華民国と中華人民共和国はどちらも主権国家であり、「一つの中国と一つの台湾」を形作っているという見解がある。中華民国総統を務めた陳水扁はこれを支持し、中国唯一の正統政府として中華民国の承認を得ようとする活動を中止した。陳水扁政権下において中華民国政府は、台湾国家として国際連合に加盟することを目指した。しかし馬英九が次の総統に就くとこういった動きを取りやめた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二つの中国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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