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二ツ山城(ふたつやまじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町鱒淵にあった日本の城。石見国の中では益田市の七尾城に次いで古い山城である。 == 概要 == 貞応2年(1223年)、富永朝祐によって築城。富永氏はやがて出羽姓を名乗り一大勢力を持ったが、正平16年(1357年)に高橋貞光による攻撃で城主出羽実祐は討死し落城した。高橋氏は二ツ山城向かいの山に本城を築き、そこを拠点としたので、二ツ山城は高橋支配時代には使われなかったと思われる。 享禄3年(1530年)に高橋氏が毛利元就によって亡ぼされると、二ツ山城は毛利氏の石見進出の拠点となった。永禄元年 (1558年)2月、吉川元春を大将とする毛利軍が、毛利方に付いた出羽元実や福屋隆兼らを率いて〔歴史群像シリーズ9 毛利元就(1988年 学習研究社)〕二ツ山城に着陣。別当城(邑南町)を拠点に対抗しようとした尼子氏方の軍勢(牛尾幸清・本城常光・小笠原長雄)を撃ち破っている(出羽表の戦い〔又は石州出羽の戦い〔二ッ山 - 邑南町の紹介:ひろしま観光ナビ(広島県観光連盟)〕〔別当城跡の説明板より(平成16年11月 下和田集落)〕)。 天正19年(1591年)に出羽元実が出雲国に移封となり廃城になった。 「二ツ山」の名前の通り、城跡は本丸と西の丸の二つの高い郭を中心とした縄張りとなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二ツ山城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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