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西川 鯉三郎(にしかわ こいさぶろう、こいざぶろう)は、名古屋西川流の名跡のひとつである。4代西川扇蔵の門弟であった西川仁蔵が名古屋へ移った際、西川鯉三郎を名乗ったことに由来する。 == 初代 == 初代鯉三郎(文政7年11月30日(1825年1月18日) - 明治32年(1899年)2月25日)は江戸の阿波藍玉商岸田久兵衛の子。文政6年の生まれとも。4世扇蔵の門弟で仁蔵、二代目関三十郎または七代目市川團十郎の門弟で関仁蔵や市川鯉三郎を名乗る歌舞伎役者であったが1884年に父とともに名古屋に移住し1846年に舞踊京舞篠塚流の篠塚力寿と結婚し篠塚流の舞踊や坂東流の坂東秀代に舞踊、ほかにも能や狂言から芸を学ぶ。のちに力寿とは離婚。1860年に西川流の御免踊指南の看板を許される。名古屋の劇場の振り付けを一手に担った。没後は後継者が定まらず門弟の西川嘉義や西川石松らによって流派が運営され、鯉三郎の名跡もしばらく継がれなかった。 号は和光。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川鯉三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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