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道仁会(どうじんかい〔 2009年 警察庁 ― p.21 “ドージンカイ”〕)は、日本の福岡県久留米市に本部を置く暴力団〔 2012年 九州管区警察局〕。指定暴力団〔『道仁会系組事務所で爆発音、手りゅう弾か 』 2012年12月21日 47NEWS〕。2012年より改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”(‐2014年)〔『道仁会と浪川睦会 特定抗争指定解除へ 』 2014年6月13日 読売新聞〕。構成員の総数は2014年時点で570人〔『』 平成27年上半期の暴力団情勢 〕。2015年12月の福岡県警の報告で準構成員を含めて1,010人〔『工藤会、7年連続減 福岡県内組員、過去最少 』 西日本新聞 2016年1月15日 〕。福岡県のほかにも佐賀県や熊本県などに系列組織を置いている〔『指定暴力団道仁会 』 2009年3月28日 読売新聞〕。 顕著なる反権力性、反警察的色彩ならびに極度の好戦的傾向から知られる暴力団組織で、その結成からというもの数多の抗争事件をもってその名を知らしめてきた。10倍近い勢力を有する山口組を相手に一歩も引かない姿勢を示した1980年代のいわゆる『山道抗争』における激烈な戦闘行動や、関東地方の大組織・住吉連合会との突発的な抗争に際し破壊的な総力戦を敢行しようとしたことなどから、暴力団界にあって際立った畏怖を伴う“恐ろしい”組織であるとの評判が定着。〔『ドキュメント 九州ヤクザ戦争』 : “道仁会とはどんな組織か” 安田雅企 1990年12月 ISBN 4-7918-0496-1〕 長年にわたって日本屈指の強力な犯罪組織としてあり続けており〔『Suing the gang next door: Yakuza dragged to court"(1/2) 』 2008年11月16日 ニューヨークタイムズ 〕、その性質面について、安田雅企は“信じ難い蛮勇”を有する組織〔であると、ジェイク・エーデルスタインは“とりわけ獰猛(凶暴)な組織”〔であると述べる。 2000年代中盤頃からは、人事を巡って分裂した九州誠道会を相手とした、暴力団史に類を見ないほどの極めて破壊的な銃火器類を多用した激しい抗争の当事者となり、全国的な関心を惹起する事態ともなった〔『The town that took on the yakuza 』 2008年9月9日 インデペンデント 〕。抗争終結宣言に至る2013年までに、マシンガンや手榴弾を用いた47件の抗争事件で14名の死者を発生させるに至った〔『死者14名を出した抗争に一区切り 道仁会と九州誠道会を手打ちに追い込んだ暴力団社会のある事情(1/3) 』 伊藤博敏 2013年6月13日 現代ビジネス〕。 ==来歴== 1971年に古賀一家を含む4団体が合体し道仁会を結成。この統合を主導したのが初代会長の古賀磯次であった。やがて初代の幹事長であった松尾誠次郎が1992年に二代目を襲名。〔『平成5年度警察白書 第1節 暴力団の実態 』 1993年 警察庁〕 同年に暴力団対策法に基づく指定暴力団への登録を受ける〔。2006年における松尾の引退に伴い、傘下松尾組の首領であった大中義久を会長とする三代目体制が発足するも、同時期に離反した九州誠道会の手により翌2007年に大中が射殺されたことから早くも終焉〔『武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その1】 』 2008年3月18日 佐賀新聞〕。当時服役中であった小林哲治が四代目を継承した〔 2010年2月 福岡県公安委員会〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道仁会」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dojin-kai 」があります。 スポンサード リンク
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