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二俣城の戦い(ふたまたじょうのたたかい)は、元亀3年(1572年)10月16日から12月19日にかけて行われた武田信玄軍と徳川家康軍による遠江北部の二俣城攻防戦である。 == 発端 == 元亀3年(1572年)10月3日、上洛を目指す武田信玄は、徳川家康の所領である遠江に侵攻した。信玄は遠江における徳川方の諸城を東西に分断するため、10月13日には腹心の馬場信春に一軍を預けて只来城を落とさせた。自らも2万2000の軍勢を率いて天方城・一宮城・飯田城・格和城・向笠城などをわずか1日で全て落とした。10月15日には、匂坂城を攻略した。これにより、掛川城や高天神城は孤立し、家康方は浜松城にある城兵だけで武田軍と戦うことを余儀なくされたのである。その結果、10月14日に行われた一言坂の戦いで、家康は信玄の前に大敗を喫した。 一方、家康を破った信玄は、10月16日に二俣城を包囲した。二俣城は浜松城と掛川・高天神城のちょうど中間地点に位置する遠江の諸城の中でも特に重要な拠点であった。武田軍が補給路を確保するためにも、徳川軍の連絡網を断ち切るためにも、この城は落としておく必要があったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二俣城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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