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二山 治雄(にやま はるお)は、日本のバレエダンサーである。7歳のときにバレエを始め、小学校5年で長野市の白鳥バレエ学園に入学して研鑽を積んだ〔『ダンスマガジン』2015年9月号、pp .84-85.〕〔『読売新聞』2014年2月3日付朝刊、第14版、第2面。〕。2014年2月、17歳のときにローザンヌ国際バレエコンクールで1位を受賞した〔〔『読売新聞』2014年2月3日付朝刊、第14版、第1面。〕。同コンクールにおける日本人出場者では、1989年の熊川哲也、2012年の菅井円加に続く3人目の1位獲得者である〔〔。同年4月には、ユースバレエ・アメリカ・グランプリでシニアの部金賞を受賞した〔〔。 == 経歴 == === 初期のキャリア === 長野県松本市の出身〔〔。4人きょうだいの末の子で、姉が3人いた。保育園では日本舞踊を習い、踊りに興味を抱くようになった。父は当初、姉たちを守れるように空手道場へ通わせようかと考えていたが、本人は舞踊の方を好んでいた〔。 地元のバレエ教室でバレエを始めたのは7歳のときで、そのきっかけは当時好意を抱いていた女の子がやっていたからであった〔〔。小学校5年生のときに、自宅のある松本市から片道1時間以上かかる長野市の白鳥バレエ学園に入学して研鑽を積んだ〔〔『読売新聞』2014年4月1日付夕刊、第3版、第10面。〕〔『読売新聞』2014年2月7日付朝刊、第14版、第38面。〕。 指導者の塚田みほりは白鳥バレエ学園の主宰者塚田たまゑの娘で、名教師として知られるマリカ・ベゾブラゾヴァに師事した人物だった〔。塚田は入学当時の二山について「いい筋肉をしているし、身体能力は半端じゃない。ただ、どんくさかった」と評していた〔。塚田の指導は厳しかったが、二山は素直に聞き入れていた〔。白鳥バレエ学園のクラスには男の子もたくさん在籍していたため、彼らからも良い刺激を受けた〔。 小学校6年のときからは、バレエコンクールにも挑戦するようになった〔〔。プロとして踊ることを意識し始めたのは、中学3年生くらいであった〔。二山本人によれば、身長が高くなく日本人ということでいろいろなハンデがあるのではないかと不安だったという〔。その点については、二山の母も同様の思いを抱いていた〔。それでも白鳥バレエ学園の教師から後押しもあって、ローザンヌを目指すことを決意した〔。 二山は進学先として、松本市にある私立松本第一高校の食物科を選んだ〔〔。高校進学後に二山は「本格的にやりたい」と白鳥バレエ学園に申し出て、実家に近い松本市の支部と長野市の本部の双方に週6日間通うことにした〔。ローザンヌ国際バレエコンクールの前には、深夜2時頃まで練習に励んで白鳥バレエ学園に泊まり込み、そこから学校に通って睡眠時間は3-5時間という努力を続けていた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二山治雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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