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二期会(にきかい)は、1952年に結成された声楽家団体である。この団体は2005年9月に「財団法人二期会オペラ振興会」に包含され、単独の団体としては既に存在していない(「財団法人二期会オペラ振興会」は1977年の設立。2005年10月に「財団法人東京二期会」と名称変更。更に2010年11月18日に公益財団法人認定され現在の名称「公益財団法人東京二期会」に至る)。 現在では「二期会」とは、「公益財団法人東京二期会」の中の声楽会員組織の意味である。 (日本のオペラ歌手が「二期会会員」と言う場合は、この東京二期会の中の声楽会員組織に所属している、という意味である) 従って、ここでは現在の「公益財団法人東京二期会」の前身としての声楽家団体について記述する。 現在の二期会の姿については東京二期会の項を参照。 == 沿革 == 二期会発足の母体となったのは、東京音楽学校の出身者たちであった。1949年12月(翌1950年1月説もあり)にはクラブ活動的存在ではあったが「オペラ研究部」が発足、その部長にはテノールの柴田睦陸が就任した。 オペラ研究部としての最初の対外活動は、1951年11月27日より日比谷公会堂で文部省芸術祭参加公演として行った、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』である(訳詩上演)。なお同曲はベルリオーズによって「劇的物語」と題されており、必ずしもオペラ形式での上演は主流ではないが、研究部は2公演を演奏会形式、9公演を舞台上演として演奏した。NHKラジオによる録音放送も行われた。 この公演の余勢を駆る形で、三宅春惠(ソプラノ)、川崎靜子(メゾソプラノ)、柴田睦陸・中山悌一(バリトン)を中心としたメンバーは二期会を結成し、本格的なオペラ公演活動を開始することになる。なお「二期会」とは、それまでの先人たちのオペラ活動を第1期であるとみなし、自らが第2期の中心となろうとの気概を込めた命名であるという。 二期会としての正式の旗揚公演は、1952年2月25日から28日にかけて日比谷公会堂で行ったプッチーニ『ラ・ボエーム』(訳詩上演)であった。管弦楽は東京交響楽団、指揮はマンフレート・グルリットであった。 2005年9月末、声楽家団体「二期会」は解散し、「財団法人東京二期会」に包含された。(現在の公益財団法人東京二期会)
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