翻訳と辞書
Words near each other
・ 二束三文
・ 二束三文トリオ
・ 二条
・ 二条上皇
・ 二条光平
・ 二条兼基
・ 二条冬実
・ 二条厚基
・ 二条吉忠
・ 二条城
二条城会見
・ 二条城前駅
・ 二条城北小学校
・ 二条基弘
・ 二条基敬
・ 二条大宮
・ 二条大麦
・ 二条天皇
・ 二条太皇太后
・ 二条宗基


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

二条城会見 : ミニ英和和英辞書
二条城会見[にじょうじょうかいけん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会見 : [かいけん]
  1. (n,vs) interview 2. audience 

二条城会見 : ウィキペディア日本語版
二条城会見[にじょうじょうかいけん]
二条城会見とは、1611年慶長16年)3月28日に、山城国京都二条城において、徳川家康豊臣秀頼が行った会見である。
== 背景 ==
1611年(慶長16年)、これまで延期されてきた後陽成天皇の譲位が3月27日に、それに伴う後水尾天皇の即位が4月12日に執り行われる事となった。それらの儀式に立ち会うため、徳川家康(69歳)は駿府城より4年ぶりの上洛を行った。この際に織田長益高台院などを通じて、孫娘の千姫の婿でもある豊臣秀頼(17歳)に、二条城における会見を要請し〔『武徳大成記』〕、3月28日に執行される事となった〔これに対し、『大坂御陣覚書』などによると、秀頼の生母である淀殿は「家康が大坂に来るべき」と難を示したが、片桐且元加藤清正浅野長政などが、両家の不和を危惧して説得した。『東武談叢』によると、且元は、「関東と不和になり玉ひ、合戦起こらん事必定なり」と訴えた。〕。秀頼にとって、大坂城の外の世界は、1599年(慶長4年)1月に伏見城から移って以来、12年ぶりだった。
前日の27日未明に、福島正則などを留守居役として秀頼は楼船で出立し〔『清正記加藤清正が用意した船で上洛し、『家忠日記』でも浅野幸長と清正の兵がそれぞれ片側の岸を警備し、船中では宴が開かれたとなっている。〕、織田長益、片桐且元貞隆兄弟、大野治長、その他30人ほどの番頭小姓が同行した。家康は、九男・義直(10歳)と十男・頼宣(9歳)を伏見上鳥羽での出迎役とし〔他に、成瀬正成竹腰正信安藤直次水野重仲(『家忠日記』)。〕、浅野幸長加藤清正池田輝政藤堂高虎などが随伴した〔『当代記』によると浅野幸長が徳川義直の、加藤清正が徳川頼宣の介添え役となった。彼らは娘婿と舅になる予定の関係だった。〕。で一泊をした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「二条城会見」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.