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二条 弼基(にじょう たねもと、1910年(明治43年)6月19日 - 1985年(昭和60年)8月28日〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、321頁。〕)は、日本の工学者、政治家、華族。貴族院公爵議員、工学博士。 ==経歴== 東京府出身。男爵・二条正麿の三男として生まれ、二条家第28代当主・二条厚基の養子となる〔。1930年9月1日、公爵を襲爵〔『官報』第1104号、昭和5年9月2日。〕。1934年、東北帝国大学理学部地質科を卒業し、さらに1937年同大学工学部電気科を卒業〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』11頁。〕〔『現代人名情報事典』749頁。〕。1940年6月19日、満30歳に達し貴族院公爵議員に就任し〔『官報』第4036号、昭和15年6月21日。〕、火曜会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した〔〔。 1937年、逓信省電気試験所に入所し研究員となり、1939年、逓信技師に任官〔〔。戦後は、逓信省電気通信研究所無線器具課長、郵政省電波研究所次長、同省電波監理局監視長、同局次長などを歴任〔。1962年に退官して松下電器に入社し、技術本部研究調整部長、同本部研究所長、同研究所参与を務めた〔〔。 1976年、伊勢神宮大宮司に就任〔〔。その他、藤商会会長、堂上会理事長などを務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条弼基」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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