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二瀬川政一 : ミニ英和和英辞書
二瀬川政一[ふたせがわ まさいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [いち]
  1. (num) one 

二瀬川政一 : ウィキペディア日本語版
二瀬川政一[ふたせがわ まさいち]
二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日-1959年8月22日)は、大相撲の元力士である。朝日山部屋所属、最高位は東関脇奈良県北葛城郡新庄町(現葛城市)出身である。本名は安川→井口政一。身長171cm、体重128kg。得意手は突っ張り、押し、右四つ、寄り。
== 来歴 ==
1931年5月場所初土俵、その後ゆっくりではあったが着実に昇進し、1940年5月場所新入幕を果たした。ところがこの場所、横綱双葉山をはじめ上位陣に休場者が多く、相手方の横綱男女ノ川の対戦相手を番付の上から数えていくと、二瀬川にあたってしまったので、13日目、前日まで5勝7敗であったのに対戦が組まれ、敗れて負け越してしまった。しかし、5勝10敗の成績では十両に落ちる危険があったのだが、横綱との対戦があったため、翌1941年1月場所には、張出前頭という形で幕内にとどまることができた。これが幸いしたか、そのあと6場所連続して勝ち越し大関時代の前田山に連勝したりもし、一気に関脇まで駆け上がった。突き押し相撲のわりには安定した取り口であったので、大関の声もかかったが、新関脇の1944年1月場所から二枚鑑札で朝日山部屋を継いだことの苦労や、その場所の負傷、途中休場のために大関の夢も砕け、その後は勝ち越しも1場所しかなく、1947年6月場所限りで現役を引退、部屋経営に専念した。弟弟子の高津山が関脇に昇進、二瀬山も幕内上位で活躍し、部屋の将来も開けるかというところで急逝、その後の朝日山部屋は中堅部屋で終始することになってしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「二瀬川政一」の詳細全文を読む




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