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『二羽の鳩』(にわのはと、)は、1886年にパリ・オペラ座で初演された全3幕のバレエ作品。アンドレ・メサジェ作曲、ルイ・メラント振付による。 17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌの寓話に基づき、主人公を婚約中の若い男女(ペピオとグルーリ)として、男の家出の危機を乗り越え、二人が再び結ばれるまでを描く。 1870年代以降のオペラ座はJ・マジリエ、A・サン=レオンら振付家の相次ぐ死去と、バレリーナのマリー・タリオーニの引退を受けてバレエの地位低下が顕著だったが、この作品は同時代に作られたものとしては 『コッペリア』(1870年)に次ぐ人気を集め、1949年までに計196回もの上演を重ねた。 本記事では1961年に作られたアシュトン版についても後述する。 == 成立 == 作曲家として駆け出しだったメサジェは、師匠サン=サーンスの推薦でオペラ座に紹介され、初めて本格的な舞台音楽を手掛けることになった。オペラ座総支配人のヴォーコルヴェイユは自らラ・フォンテーヌの寓話〔寓話・巻9の2。原典は次を参照。"Les Deux Pigeons" (Wikisource)〕を題材に選び、コメディ・フランセーズの元役者〔Brillant, Marie, "Les Deux Pigeons", ''Dicitionnair du ballet moderne'' (Hazan, Fernand, ed., 1957), p.118〕で台本作家のアンリ・レニエ〔Henry Régnier. 小説家のH・ド・レニエとは同姓別人。〕に台本化を指示した。しかし1884年にヴォーコルヴェイユは亡くなり、同年末にはレニエもオペラ座を辞職してしまう。このためメラントによる振付が始まったのはさらに1年余りが経ってからとなった。 奇しくもこの作品はオペラ座でリハーサルにピアノ伴奏を用いた最初の作品となった〔Guest, Ivor, "Messager - Les Deux Pigeons, Orchestra of the Welsh National Opera & Richard Bonynge, DECCA 476 2448" (CDノート)。それまではヴァイオリンとヴィオラが使用されていたという。〕。ヒロイン役のグルーリはカタロニア出身のエトワール、ロシタ・マウリ。その恋人役ペピオには当時の慣例として男装の専門役だった第一舞踏手のマリー・サンラヴィルがあてられた。メラントはそれまで 『シルヴィア』 などで主役を演じていたが、58歳のこのときは端役のジプシーの一人として出演するに留まった。 初演は1886年10月18日の夜、ドニゼッティの歌劇 『ラ・ファヴォリータ』 との二本立てで、大ぎりに行われた。たまたまこの晩はひどい暴風雨で観衆は途中で帰ることもままならず、結果的に大入りの中で始まった〔''ibid.,''〕。グルーリ役のマウリは第1幕で金髪のかつらを被っていたため本人と気付かれず、当初は沈黙をもって迎えられたが、第2幕で持ち前の豊かな黒髪を披露した。そしてピッチカートに合わせたソロを踊ると大歓声を受け、リクエストに応えて再び同じソロを踊ったという。 なお詩人のマラルメは『二羽の鳩』を鑑賞し、その印象を自身のバレエ論“''Ballets''”の中に記している〔1886年12月に発表され、のち評論集「ディヴァガシオン」に収められた。「マラルメ全集II 別冊 解題・注解」 筑摩書房、1989年、p.85 マラルメの原典は以下を参照。"Divagations/Ballets" (Wikisource)〕。またメラントは翌1887年の7月に亡くなり、これが自身最後の振付作品となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二羽の鳩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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