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二荒芳徳 : ミニ英和和英辞書
二荒芳徳[ふたら よしのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 

二荒芳徳 : ウィキペディア日本語版
二荒芳徳[ふたら よしのり]

二荒 芳徳(ふたら よしのり、1886年10月26日 - 1967年4月21日)は、愛媛県生まれの政治家官僚伯爵日本体育専門学校(現日本体育大学)校長。のち日本体育大学名誉教授。
伊予宇和島藩伊達家9代目藩主伊達宗徳の九男、伊達九郎として生まれ、二荒芳之伯爵の養子となり改名。
歴任した役職は、静岡県理事官、宮内庁書記官、式部官、東宮御所御用掛、厚生省顧問など多数。
妻は北白川宮能久親王の娘、拡子。娘婿に歴史学者の井上光貞がいる。長男の二荒芳忠は東芝EMI勤務を経てハワイアン評論家となる。芳忠の妻はハワイアン歌手のエセル中田。
== 略歴 ==

*東京帝国大学法科大学政治学科卒業。
*1921年、皇太子裕仁親王の欧州訪問に随行。
*1922年、少年団(ボーイスカウト)日本連盟の初代理事長に就任(総長は後藤新平、副理事長は三島通陽)。
*1925年、貴族院議員。
*1931年 世界スカウト機構の委員会メンバーに就任(~1938年)。
*1937年 ボーイスカウト世界大会出席のためオランダへ。帰途、ドイツ視察。〔寄稿「独逸は起ちあがった」文部省推薦図書時報第8輯 1938年
*1938年、体操学校校長就任。
*1941年、大日本少年団連盟の副団長に就任。
*1946年、日本体育専門学校(旧体操学校)退職。
*1949年、ボーイスカウト日本連盟顧問、総コミッショナーに就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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