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馬車(ばしゃ)とは、人を乗せたり、荷物を運搬する、馬などに引かせる車である。馬だけでなく、ロバや騾馬などに引かせることもある。 現在は世界的に自動車にとって代わられつつあるが、インドや北アフリカ、東欧の一部や中国など、農業の機械化が進展していない国や地域の農村部では、現在でも荷馬車を日常的に見ることができる。 == 歴史 == 馬車がいつ何処で発明されたか明らかではないが、インダス文明の遺跡であるハラッパーからは、轍(わだち)がある道路跡が発掘されている。 紀元前2800年から2700年の古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代などで広く用いられた。 古代ローマでは戦闘用として戦車が用いられたほか、娯楽として戦車競走が盛んに行われた。現在のローマ市にあるナヴォーナ広場は当時の戦車競技場の跡地であり、広場全体の形が当時の競技場のまま残されている。映画『ベン・ハー』で描かれた戦車競技が良く知られている。 また、古代ローマの帝政期には、帝国全土にはりめぐらされたローマ街道を用いた郵便馬車制度が整備された。この郵便馬車は4輪であった。ローマ帝国が衰退すると、都市間の道路網の整備が行き届かなくなり、馬車の発展を妨げた。 14世紀のハンガリーでは、紐や鎖で座席を吊り下げた懸架式の馬車が登場し、17世紀にはバネによるサスペンションを備えた馬車が登場した。 1625年、ロンドンに辻馬車が登場。ほどなく、パリにも登場している。辻馬車は、走行時間によって料金が設定されていたが、19世紀にはメーターが導入されたことにより、走行距離によって料金が示されるようになる。このシステムはタクシーに引き継がれた。 1662年、ブレーズ・パスカルはパリで乗合馬車「5ソルの馬車」を創業する。これは現代のバスに相当するもので、世界初の都市における陸上公共交通機関とされる。安価で正確な運行により、好評を博した。 18世紀に入ると、ヨーロッパの主要都市間を結ぶ駅馬車が整備されてくる。例えばパリ-リヨン間の駅馬車である''diligence''は、夏は5日、冬なら6日で、両都市間を結んだ。 19世紀に馬を動力として鉄道を走る馬車鉄道が発明された。しかし、蒸気機関車が発明されたことから、馬車鉄道は衰退した。蒸気機関車発明後もどこでも自由に移動できる馬車はヨーロッパの都市部で盛んに利用された。 イギリスでは辻馬車であるハックニー・キャリッジのうち、エンジンで走行するものは車体が黒色に塗られており、一般にブラックキャブ(black cabs)と呼ばれていた。現在ではロンドンタクシーの通称ともなっている。 またアメリカ合衆国では西部開拓が盛んになり、開拓民は幌馬車隊を組んで西部に向け移住していったが、その後、馬車の車体を改造し蒸気機関を搭載した蒸気自動車やガソリン等を燃料にしたエンジンを搭載した自動車が発明されたことにより、馬車は陸上交通機関の主役の座を奪われ、急速に衰退していった。 アメリカ合衆国のアーミッシュはその教義・信念によって自動車を運転しないため、現在も馬車を実用的な交通機関として使っている。米国の道交法に違反しないよう、方向指示器などを取り付けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Horse-drawn vehicle 」があります。 スポンサード リンク
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