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于右任 : ミニ英和和英辞書
于右任[う ゆうじん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [にん]
 【名詞】 1. obligation 2. duty 3. charge 4. responsibility 

于右任 : ウィキペディア日本語版
于右任[う ゆうじん]

于 右任(う ゆうじん)は清末から中華民国にかけての政治家・軍人・書家・文化人・教育家・ジャーナリスト。中国同盟会以来の古参の革命派で、国民政府監察院院長として知られる。名は伯循だが、一般には右任を用いて呼ばれる。筆名は、神州旧主騒心大風剥果太平老人など多数ある。祖籍は陝西省西安府涇陽県。〔劉国銘主編(2005)、19頁。〕
== 事績 ==

=== 清末民初の活動 ===
1903年光緒29年)、癸卯科挙人となった。しかし政治を風刺したとして、清朝の指名手配を受け、翌年から上海に隠れ住んだ。震旦学院を卒業後、学友とともに復旦公学(後の復旦大学)を創設した。1906年(光緒32年)、日本に留学し、中国同盟会に加入した。帰国後の1907年(光緒33年)4月、上海で『神州日報』を創業し、社長となる。この他にも、『民呼日報』、『民立報』などを創始し、革命派の言論・思想を発信した。〔徐主編(2007)、27頁。〕〔
1912年民国元年)1月、南京で中華民国臨時政府が設立されると、交通部次長に任命された。翌年3月に、宋教仁が暗殺されると、袁世凱打倒のために二次革命(第二革命)などに参与した。護法運動が開始された1918年(民国7年)に故郷へ戻り、胡景翼とともに陝西靖国軍を組織して、于右任が総司令となった。1922年(民国11年)5月、于右任は上海に移る。そして葉楚傖とともに国立上海大学を創設し、于右任が校長となった。1924年(民国13年)4月、中国国民党第1期中央執行委員に選出された。同年12月に孫文に随従して北京入りしている。〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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