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于山島(うざんとう、)は韓国の歴史書である『太宗実録』の太宗十七年(1417年)の項で最初にその記述が出てくる島。 韓国に現存する多数の古地図の内古い物には鬱陵島の西や北に描かれているが、これに比定できる島は存在しない。18世紀後半以降は鬱陵島の東に隣接して描かれるようになり、しだいに北東に隣接する現在の竹嶼を于山島として描いている。 17世紀末、朝鮮の安龍福が日本人の呼ぶ松島(現在の竹島)を于山島のことだと言うが、彼もその于山島の場所を把握していない。鬱陵島は遠隔地で当時は朝鮮政府の船でも渡航が難しく、朝鮮王朝は、1417年から他の理由もあわせ、入島・居住を全面禁止する「空島政策」を長期間とっていた。しかし、その間も朝鮮政府は鬱陵島を度々調査し、その製作した地図には、形状や位置から現在の竹嶼に比定できる于山島を描いている。 韓国では安龍福の証言や「東国文献備考」などの記述を根拠に、于山島を鬱陵島より東南東に約90km離れた小島、現在の竹島(韓国名:独島)であると主張している。 == 『三国史記』(1145)の于山国 == 1145年に編纂された朝鮮半島最古の文献史料『三国史記』には、「512年6月に于山国が服属し毎年土地の産物を貢いだ。于山国は溟州のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という。」とある。韓国は、この于山国は現在の鬱陵島と独島(竹島)を含んでいるので、512年から独島(竹島)は韓国領と主張している。しかし、この記述には鬱陵島以外の島のことは全く記されておらず、国名が于山国であることから鬱陵島の本来の名が于山島である可能性が高い。また鬱陵島が于山国という独立国家で新羅により侵略されていたことが分かる。 ;原文〔原 文 (8ページ参照)(PDF)〕 (※可読性向上のため空白を入れ、固有名詞以外は旧字体を新字体に変更。以下同様) ;翻訳 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「于山島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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