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于璽[う じ] 于 璽(う じ、生年不詳 - 604年)は、中国の北周から隋にかけての軍人・政治家。字は伯符。本貫は河南郡洛陽県。 ==経歴== 于翼の子として生まれた。北周に仕えて、右侍上士を初任とした。まもなく儀同三司の位を受け、右羽林を兼ね、少胥附に転じた。武帝のとき、斉王宇文憲の下で北斉軍を洛陽で破り、功績により豊寧県子の爵位を受けた。武帝の下で北斉を平定し、開府儀同三司の位を受け、黎陽県公に改封され、職方中大夫となった。宣帝が即位すると、右勲曹中大夫に転じた。右忠義を兼ねた。 580年、上開府の位を加えられた。581年、隋が建国されると、大将軍に進み、汴州刺史に任ぜられ、有能で知られた。上大将軍の位を加えられ、爵位は郡公に進んだ。邵州刺史に転じ、数年つとめた。後に検校江陵総管となったが、邵州の張願ら数十人が上表して、于璽を邵州に留めるよう請願した。文帝はこのことに感心して、于璽を邵州にもどした。洛州刺史に転じ、また熊州刺史となって、善政で知られた。病のため長安に召還された。604年、家で死去した。諡は静といった。 子に于志本があった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「于璽」の詳細全文を読む
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