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于謙[う けん ゆぃちぇん]
于 謙(う けん ユィチェン:Yú Qiān、洪武三十一年(1398年) - 天順元年(1457年))は中国明の進士出身の政治家。字は廷益。子は于冕(字は景瞻〔『明史』第170巻〕)、女婿は朱驥。 土木の変で明の皇帝英宗がオイラト部のエセンに捕らえられると、英宗の弟の景泰帝を擁立し、北京に迫ったエセンの軍を撃退した。 == 土木の変以前 == 銭塘(浙江省杭州市)の出身で、1421年に科挙を受験して進士に合格した。宣宗宣徳帝のもとで漢王朱高煦の乱の鎮圧に従軍した経験がある。監察御史を経て1430年に兵部右侍郎に就任し、河南や山西の巡撫として民心の把握に努めた。1446年、英宗正統帝のもとで専横を揮っていた宦官の王振に反抗したために投獄されたが、周囲からの嘆願で釈放され復任している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「于謙」の詳細全文を読む
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