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于邵[う しょう]
于邵(う しょう、生没年不詳)は、唐の文人・政治家。字は相門。本貫は京兆郡万年県。
== 経歴 == 天宝末年、進士に及第した。文章にすぐれ、崇文校書郎に任じられた。比部郎中を経て道州刺史となったが、赴任しないうちに巴州刺史に転じた。巴州で飢饉が起こり、少数民族のが反乱を起こして、城下にせまった。于邵は兵を率いて防戦するいっぽう、使者を派遣してをなだめ、于邵自身も儒服を着てと会見すると、は矛をおさめて引き揚げていった。節度使の李抱玉がこのことを奏聞すると、于邵は梓州刺史に任じられたが、病を理由に受けず、兵部郎中に任じられた。崔寧が蜀に入ると、于邵は度支副使となった。まもなく諫議大夫・知制誥となり、礼部侍郎に進んだ。三司使となったが、薛邕の事件に連座して、桂州長史に左遷された。太子賓客として復活したが、宰相の陸贄と合わず、杭州刺史として出された。病のため引退を願い出ると、衢州別駕に左遷され、さらに江州に移されて、死去した。享年は81。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「于邵」の詳細全文を読む
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