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五ッ海 義男(いつつうみ よしお、1922年11月1日 - 2008年8月29日)は、長崎県南松浦郡奈良尾村(現:同郡新上五島町)出身で、1940年代後半に活躍した大相撲力士である。本名は松竹 義雄(まつたけ よしお)。 == 来歴 == 1922年11月1日、長崎県南松浦郡奈良尾村(現:同郡新上五島町)で生まれた。同郷の遠縁に大関まで昇進した五ツ嶋奈良男がいたため、その縁で出羽海部屋へ入門、1940年1月場所にて本名でもある「松竹」の四股名で初土俵を踏んだ。後に、五ツ嶋に因んだ「五ッ海義男」に改名。序ノ口に付いて以来負け越し知らずのままで1943年5月場所で新十両昇進、1944年5月場所では新入幕を果たすなど、昇進が早かった。 小兵・軽量だが抜群の運動神経で、スピードのある突っ張りから右を差してから強烈な掬い投げ・下手投げを繰り出す俊敏・技能的な取り口は、端正な容姿と共に人気が高かった。それでも戦中・戦後の混乱期かつ復興の真っ只中で興行日数も少ない時期だったため、序盤や中盤に4連勝~7連勝しても評判にはならなかった。それでも新入幕の場所では8勝2敗で大きく勝ち越し、1945年11月場所では大関・佐賀ノ花勝巳を切り返しで破る殊勲の星を挙げるなど、上位に対しても十分通用するほどの力量を身に付けた。 その後は幕内上位から中位に留まっており、1949年5月場所では11勝4敗と好成績を収めて技能賞を獲得、次の場所では初めて小結に昇進した。だが、内臓疾患を患ったことでこの場所では1勝14敗と惨敗したほか、翌場所(1950年1月場所)も1勝14敗と不本意な成績に終わり、1950年5月場所と9月場所を連続で全休したのを最後に現役を引退した。まだ27歳だっただけに惜しまれた。 引退後は日本相撲協会に残らず廃業し、東京都港区で相撲料理店を経営したほか、郷里・長崎で下宿屋を営んだ。 2008年8月29日に肺炎のため死去、。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五ツ海義男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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