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五代友喜 : ミニ英和和英辞書
五代友喜[ごだい ともよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 

五代友喜 : ウィキペディア日本語版
五代友喜[ごだい ともよし]

五代 友喜(ごだい ともよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての薩摩国武将島津氏の家臣。一部史料には友慶とも。
家系は新田八幡宮社家執印氏の庶家で、初代・惟宗康友の子・康忠が五代院院主職を譲られてより五代氏を称した家である。
友喜は永禄7年(1564年)、島津義弘日向国飯野城を居城にした際にこれに従った60人のうちの一人で、以後その家老を務めた。また、馬関田(現・宮崎県えびの市西川北付近)地頭でもあった。元亀3年(1572年5月4日木崎原の戦いが起こると島津義弘に兵40人を与えられ、白鳥山野間口に伏兵、日向伊東氏の3,000人に及ぶ軍勢を義弘、鎌田政年と共に打ち破り200石を賜る。また、敵の総大将であった伊東祐安を弔う供養塔を建立した。
天正12年(1584年)、義弘の子・島津久保に従い小田原征伐にも参加した。慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こった際には、長島(現・鹿児島県長島町)にて肥後国加藤清正の軍を警戒する番に就き、義弘の帰国後に200石を賜った。また、慶長8年(1603年)に唐船奉行を務め、同10年(1605年)に主君・島津家久の養女・長寿院殿が松平定行の元へ嫁ぐ際はその供をした。
寛永3年(1626年)に病死。薩摩国の隆盛院に葬られた。
== 参考文献 ==

* 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13) (鹿児島県史料刊行委員会)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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