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五十嵐 一(いからし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、中東・イスラーム研究の学者。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。新潟県新潟市出身。比較文学の学者である五十嵐雅子は妻。 ==略歴== 新潟県立新潟高等学校を経て1970年(昭和45年)に東京大学理学部数学科を卒業。理数系から人文系に転身し、1976年(昭和51年)に同大学院美学芸術学博士課程を修了。同年からイランに留学して、イラン革命が起こった1979年(昭和54年)までイラン王立哲学アカデミー研究員を務めた。1986年より死去まで助教授として筑波大学に勤務する。 1990年(平成2年)に反イスラーム的とされるサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した。五十嵐助教授自身は「ホメイニー師の死刑宣告は勇み足であった」「イスラームこそ元来は、もっともっと大きくて健康的な宗教ではなかったか」(『中央公論』 1990年4月号 「私はなぜ『悪魔の詩』を訳したか」)と語っていたが、1991年(平成3年)7月11日、筑波大学構内で何者かにより刺殺された(悪魔の詩訳者殺人事件)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五十嵐一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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