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五十嵐 信一(いがらし しんいち、1959年8月29日 - )は、東京都杉並区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。愛称はシンさん、シン。 == 来歴・人物 == 日大二高では、二塁手として夏の甲子園西東京予選に出場。準決勝まで進むが明大中野高に敗退。 同年のドラフト外で日本ハムファイターズに入団。二軍暮らしが長かったが、4月には、「空白の一日」で入団した江川卓が二軍で初登板した試合で対戦し本塁打を放った。 には二塁手として一軍に定着、菅野光夫、鍵谷康司と定位置を争う。同年の日本シリーズでは最後の打者となっている〔NPB公式記録 1981年の日本シリーズ代6戦 〕。その後も内外野をこなすユーティリティープレイヤーとして起用されるが、には本格的に外野手転向。主に右翼手として自己最多の103試合に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.274、7本塁打を記録した。パ・リーグ東西対抗では二番・右翼手としてスタメンで出場して敢闘賞を受賞した〔読売新聞、1988年11月21日付朝刊、P.18〕。 その後は準レギュラーとして起用されるが、は主に五番打者、左翼手・右翼手として87試合に先発出場、打率.292を残す。年俸3,200万円(推定)で契約を更改している〔毎日新聞、1992年12月16日付朝刊、P.17〕。また、東京ドームMVPも受賞した。 体力・気力の衰えを感じ、に現役を引退〔読売新聞、1996年10月27日付朝刊、P.24〕。翌は二軍で打撃兼外野守備コーチとなり、まで主に二軍打撃コーチ、からまでスコアラーを務めた。から二軍監督に就任し、はチームを7年ぶりのイースタンリーグ優勝に導いた。退任。からは日本ハムの査定担当となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五十嵐信一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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