翻訳と辞書
Words near each other
・ 五十嵐于拙
・ 五十嵐亮太
・ 五十嵐仁
・ 五十嵐仁之
・ 五十嵐令子
・ 五十嵐伊織
・ 五十嵐佐市
・ 五十嵐佳子
・ 五十嵐俊幸
・ 五十嵐俊輝
五十嵐信一
・ 五十嵐信斎
・ 五十嵐信次郎
・ 五十嵐健人
・ 五十嵐健治
・ 五十嵐健祐
・ 五十嵐優美子
・ 五十嵐元
・ 五十嵐充
・ 五十嵐充子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

五十嵐信一 : ミニ英和和英辞書
五十嵐信一[いがらし しんいち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
五十 : [ごじゅう]
 【名詞】 1. fifty 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [あらし]
 【名詞】 1. storm 2. tempest 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [いち]
  1. (num) one 

五十嵐信一 : ウィキペディア日本語版
五十嵐信一[いがらし しんいち]

五十嵐 信一(いがらし しんいち、1959年8月29日 - )は、東京都杉並区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。愛称はシンさんシン
== 来歴・人物 ==
日大二高では、二塁手として夏の甲子園西東京予選に出場。準決勝まで進むが明大中野高に敗退。
同年のドラフト外日本ハムファイターズに入団。二軍暮らしが長かったが、4月には、「空白の一日」で入団した江川卓二軍で初登板した試合で対戦し本塁打を放った。
には二塁手として一軍に定着、菅野光夫鍵谷康司と定位置を争う。同年の日本シリーズでは最後の打者となっている〔NPB公式記録 1981年の日本シリーズ代6戦 〕。その後も内外野をこなすユーティリティープレイヤーとして起用されるが、には本格的に外野手転向。主に右翼手として自己最多の103試合に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.274、7本塁打を記録した。パ・リーグ東西対抗では二番・右翼手としてスタメンで出場して敢闘賞を受賞した〔読売新聞、1988年11月21日付朝刊、P.18〕。
その後は準レギュラーとして起用されるが、は主に五番打者、左翼手・右翼手として87試合に先発出場、打率.292を残す。年俸3,200万円(推定)で契約を更改している〔毎日新聞、1992年12月16日付朝刊、P.17〕。また、東京ドームMVPも受賞した。
体力・気力の衰えを感じ、に現役を引退〔読売新聞、1996年10月27日付朝刊、P.24〕。翌は二軍で打撃兼外野守備コーチとなり、まで主に二軍打撃コーチ、からまでスコアラーを務めた。から二軍監督に就任し、はチームを7年ぶりのイースタンリーグ優勝に導いた。退任。からは日本ハムの査定担当となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「五十嵐信一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.