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五十嵐章人 : ミニ英和和英辞書
五十嵐章人[いがらし あきひと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
五十 : [ごじゅう]
 【名詞】 1. fifty 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [あらし]
 【名詞】 1. storm 2. tempest 
: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

五十嵐章人 : ウィキペディア日本語版
五十嵐章人[いがらし あきひと]

五十嵐 章人(いがらし あきひと、1968年4月12日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手監督野球解説者
全ポジションでの出場高橋博士以来、日本プロ野球史上2人目)、全打順本塁打(同6人目)の記録を達成した選手として知られる。また、全打順での先発出場及びその上での本塁打も記録している。
木田優夫とは従弟にあたる(木田の父と五十嵐の父が兄弟)。
== 来歴・人物 ==
群馬県立前橋商業高等学校のエース投手で3番打者として第68回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦まで進出した。日本石油野球部に入部後、打者に転向。主に外野手として出場した。のドラフトで3位でロッテオリオンズに外野手として入団。のち遊撃手を経て、二塁手に転向。
5月7日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で、風疹の流行による福澤洋一の離脱に加え、山中潔の代打交代、定詰雅彦が退場処分を受けたことにより捕手がいなくなり、急遽捕手として出場した。捕手経験は中学時代に少し練習したことがあるだけだったが、8球を受け1球もこぼさなかった。試合後、監督のボビー・バレンタインは「いい捕手だよ」とコメントした。
渡部高史との交換トレードでオリックスへ移籍。前年までの古巣であるロッテが同年6月13日から7月8日まで続いていた日本記録の18連敗を、翌9日のオリックス対ロッテ戦(GS神戸)でストップさせたが、奇しくもこの試合で最後の打者となったのは元チームメイトの五十嵐であった。
6月3日の対大阪近鉄バファローズ戦の8回裏に投手として登板。五十嵐が投手として出場するのは高校時代以来のことであったが、1安打を浴びたものの3つのアウトを取り、プロ野球史上2人目となる全ポジション出場を達成した。この試合での登板は、捕手の時のようにベンチ入りしていた投手を全て使い切ったと言うような特殊な事情によるものではなく、当時の仰木彬監督が五十嵐に全ポジション出場を達成させるために登板させたものである。そのため、当時オリックスに在籍していた嘉勢敏弘今村文昭のように投手転向するといったことはなく、彼が投手として起用されることは二度となかった。余談だが、この登板は16失点した後であったため、ベンチに戻ると五十嵐の前に登板した投手が仰木監督に「投手じゃなくても抑えられるんだ!」と怒られており、本人は「投手に申し訳なかった」と語っている。
6月22日の対西武ライオンズ戦に4番・一塁手として先発出場し、全打順先発を達成した。更にこの試合で西口文也から右越えに2号ソロ本塁打を放ち、この時点で本塁打を打ったことのない打順は8番を残すのみとなった。なお、五十嵐のプロ人生において4番での先発出場はこの1試合のみであった。また、同年5月25日にはプロ2度目の捕手を務めた。
に金銭トレードで大阪近鉄バファローズに移籍。同年4月21日の対福岡ダイエーホークス戦に8番・二塁手として先発出場。星野順治から右中間に1号ツーラン本塁打を放ち、プロ野球史上6人目の全打順本塁打を達成した。なお、五十嵐はわずか通算26本塁打で記録を達成しているが、これは全打順本塁打を記録した選手で最少で、後藤光尊の72本塁打が続き、それ以外の7人(古屋英夫松永浩美田中幸雄堀幸一小川博文井口資仁吉村裕基)は100本塁打以上を達成している)。また、これが五十嵐の現役生活において最後の本塁打となった。前半戦は一軍で水口栄二高須洋介、そしてわずかながら武藤孝司と二塁手の併用が続いたが、後半は二軍生活になった。
捕手としての出場は緊急事態であり、投手としての出場も1イニングだけだったが、五十嵐にはどの守備位置でもある程度守れる器用さがあり、また固定するほど得意な守備位置もないという絶妙なバランスの守備力を持っていた。また、通算打率.234、通算本塁打26本だが、日によって異なるポジションやクリーンナップを任された試合でしっかり結果を残すなどの勝負強さも兼ね備えていた。前述のように2001年は、1試合のみの先発4番で本塁打を放つという強運があり、他に先発出場では1番・3番・4番・8番・9番でそれぞれ1本塁打ずつしか打っていない。
に現役引退。その後は野球解説者、サンケイスポーツ(大阪)評論家。また、2006年からプロ野球.comでドリームベースボールというオンラインゲームに参加し、ブログも開設していた。
2006年シーズン終了後、福岡ソフトバンクホークス二軍外野守備走塁コーチに就任し2011年まで務めた。2012年からはベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスの監督に就任し、2013年まで努めた。
2013年12月24日より2015年からプロ野球独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ参入予定の武蔵ヒートベアーズの取締役ゼネラルマネージャー就任が発表された。
2015年5月8日、星野おさむ監督退団によりヘッドコーチに就任〔 武蔵ヒートベアーズ (2015年5月8日) 〕。シーズン終了後にコーチを辞任し、同球団の副社長に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「五十嵐章人」の詳細全文を読む




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