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五十嵐美由姫 : ミニ英和和英辞書
五十嵐美由姫[いがらし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
五十 : [ごじゅう]
 【名詞】 1. fifty 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [あらし]
 【名詞】 1. storm 2. tempest 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [ひめ]
 【名詞】 1. princess 2. young lady of noble birth 

五十嵐美由姫 ( リダイレクト:YOSHIKI ) : ウィキペディア日本語版
YOSHIKI[よしき]

YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)〔、1965年11月20日 - )は、日本音楽家ソングライター作詞家作曲家編曲家で、音楽プロデューサー。1989年にメジャー・デビューしたロックバンドX JAPANドラマー/ピアニストとして最もよく知られており、バンドのリーダーも務めている。X JAPANのほかにも、Violet UKL・O・XV2globe extremeS.K.I.N.として活動がある。ソロとしても3作のスタジオ・アルバム『Eternal Melody』(1993年)、『ETERNAL MELODY II』(2005年)、『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年)を発表しており、これまでのソロとしての大きな仕事には『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲(1999年)、『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング(2005年)、ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)などがある。
1986年に設立したインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」は、LUNA SEAGLAYZI:KILLなどを輩出し、ヴィジュアル系ムーブメントのパイオニアの1つとなった。1993年からは他のアーティストのプロデュースも始め、これまでにNOAGLAY西城秀樹北野井子DIR EN GREY工藤静香などの作品を手がけている。
2000年に「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣表彰を受けた。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる。父はジャズ・ピアノ、母は三味線、叔母はの演奏を嗜むなど音楽的な一面があった。また、父は先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであった〔。4つ歳の離れた弟・光樹は元俳優で、現在はYOSHIKIのマネージメントを行っている〔『東京ジャーナル』(2013年秋号)〕。幼少期は仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた。4歳になると父からピアノを買い与えられ、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める〔 『キーボード・マガジン』(2003年1月号)リットーミュージック〕。日頃から父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き、8歳の時にシューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した〔。病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされた。病室では父が見舞いに持参した子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた。
9歳頃からピアノで作曲をはじめ〔、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当した〔。毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例で、トランペットを始めたのも10歳の誕生日に父から買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の8月に父を自殺により亡くした。34歳の若さであった〔。それまではクラシック音楽しか聴いていなかったが〔『キーボード・マガジン』(2005年6月号)リットーミュージック〕、行きつけのレコード店で偶然目にしたジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」と〔SiriusXM Yoshiki Radio 2011年5月27日OA〕、母に頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の日本武道館公演をきっかけにロックに魅了され、11歳でドラムスを始めた〔。12歳でギターも始めたが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いた。
11歳で初めてのバンド「DYNAMITE」を小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けたToshlの4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いた。YOSHIKIはドラムスとボーカルを兼任していたが、声変わりが遅く高声しか出すことが出来なかった〔。中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名を「NOISE」に改称。YOSHIKIはドラムス専任となり、レッド・ツェッペリンディープ・パープルなどの楽曲を演奏した〔。より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れ、同じくダブル・ベースを使うレインボーを手本に練習を積んだ〔『月刊カドカワ』(1992年1月号)角川書店〕。中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏み、高校進学後もNOISEとしてレッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「YOSHIKI」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoshiki (musician) 」があります。




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