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五味康祐 : ミニ英和和英辞書
五味康祐[ごみ やすすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
: [あじ]
  1. (adj-na,n) flavor 2. flavour 3. taste 

五味康祐 : ウィキペディア日本語版
五味康祐[ごみ やすすけ]

五味 康祐(ごみ やすすけ、1921年12月20日 - 1980年4月1日)は日本の小説家。通称康祐(こうすけ)。本名は康祐(やすすけ)と自称するも、『五味康祐の世界展』添付年譜によると幼名は欣一あるいは欣吾であり、明治大学在籍時の資料によると本名は五味 欣一であるという〔明治大学:明治ですから!:大学史の散歩道:芥川賞作家・五味康祐―小林秀雄の講義に感銘― 〕。
剣豪を扱った歴史時代小説を始め数々の作品を発表。特に柳生十兵衛など柳生一族を扱った作品で知られており、「五味の柳生か、柳生の五味か」と評された。
オーディオ・クラシック音楽評論でも著名で、「オーディオの神様」とも呼ばれ、『西方の音』『天の聲 西方の音』『音楽巡礼』『オーディオ巡礼』などの著書が多数ある。「週刊新潮」をはじめとする出版社系週刊誌の爆発的流行と軌を一にする、昭和30年代~40年代(1950年代後半~1970年代前半)の流行作家であった。戦前の剣豪小説と全く異なる新たな剣豪小説の世界は、芥川賞受賞作『喪神』で始まったと言っても過言でないが58歳という短い生涯であった〔『没後30年 五味康祐の世界』展図録』〕。
 
==経歴==
大阪市難波生まれ。早くに父親を亡くし、育ったのは母方の祖父の家で、大阪・千日前一帯に多くの芝居小屋や映画館を有する大興行師の家だった。
旧制府立第三中学(現・大阪府立八尾高等学校)を経て1942年第二早稲田高等学院中退、徴用逃れのため1943年明治大学専門部文芸科本科入学、この頃日本浪漫派の影響を受ける。学徒出陣で中国大陸を転戦し、敗戦後南京で捕虜として過ごした後、1946年に復員し、保田與重郎に師事する。この間、1945年5月に明治大学専門部を除籍となる。
1947年亀井勝一郎を頼って上京、東京都三鷹市に住み、太宰治男女ノ川登三と共に「三鷹の三奇人」と呼ばれる。この頃、関西の出版社の社員として岡本太郎の前衛芸術運動「夜の会」に接近、多くの影響を受ける〔『日本文学館協議会紀要 第3号 五味康祐と「夜の会」─五味康祐の遺品から─ 』 全国文学館協議会〕。
1948年11月、亀井勝一郎から破門を受ける。1949年、歌人前川佐美雄の妻の妹と結婚。1950年には神戸で放浪生活を送り、覚醒剤中毒で入院。さまざまな職を経て、1952年に再び上京、音楽を通じて知り合った新潮社の編集者・齋藤十一氏の紹介で新潮社の社外校正をしながら小説を書くが、没ばかりであった。その後齋藤十一の推薦で、ドビュッシー「西風の見たもの」を聴いて着想した『喪神』が1952年12月号の「新潮」「同人雑誌推薦新人特集」に掲載され1953年、第28回芥川賞を受賞。『喪神』はその年に大映で映画化される。その後は『柳生連也斎』など独特の時代小説を発表し1956年、『週刊新潮』創刊から『柳生武芸帳』を連載して人気を博した。主人公の集団性、禁欲的な剣豪でなく、本能のままに生きる剣豪というとらえ方、そして日本浪曼派の影響の濃い、剣の達人の持つ精神性の表現と、格調高い文体で高く評価されている。色川武大に先んじて本格的な麻雀小説を書いた。
カーマニアとしても知られていたが、1961年5月に飲酒運転で逮捕。1964年1月31日には、三重県鈴鹿市富田町の国道1号雪駄履きのまま自家用車を猛スピードで運転中にトラックと正面衝突を起こし内臓破裂などで一時重体となった。1965年7月24日には、脇見運転とスピード違反により、名古屋市で60歳の女性とその孫の6歳の少年を轢き殺し、逮捕される。このとき、志賀直哉川端康成小林秀雄井伏鱒二井上靖三島由紀夫柴田錬三郎水上勉亀井勝一郎保田與重郎が連署で執行猶予を乞う上申書を裁判所に提出し、1966年、五味は禁固1年6月、執行猶予5年の有罪判決を受けた。贖罪の心の沈潜した『自日没』(にちぼつより)などの作品が書かれた。
1980年肺癌のため58歳の若さで死去。最後に病床で聞いた曲はベートーヴェンピアノソナタ第32番作品111だったという。墓は鎌倉市建長寺の回春院にある
幼少期から終生友としたクラシック音楽オーディオの世界では評論家としても名高く、『西方の音』、『オーディオ巡礼』などの著書がある。時代小説家としての五味の素顔が記された著作として、今なおファンが多い。法定相続人が絶えてしまった後、オーディオ機器とLPレコードのコレクションも含むすべての遺品(動産)が散逸する寸前、五味が長く住んだ東京都練馬区が裁判所に上申し、その裁定による無償譲渡という形で2007年に練馬区に受け入れられ、散逸を免れた。当時より、(公財)練馬区文化振興協会が分類整理と公開の事業にあたっている。
生原稿、美術工芸品、日用品などを公開する展覧会が開かれたほか、遺愛のレコードを、遺品の名機で聴くレコードコンサートが年に4回ペースで開催されている〔五味康祐氏のオーディオによる名盤レコードコンサート(2009年1月24日) 練馬区公式ホームページ 2010年2月1日〕〔原田勲「五味康祐先生のオーディオ」『文藝春秋2009年2月号、pp.83-85.〕。
(公財)練馬区文化振興協会ホームページに詳細あり
手相観相学麻雀にも造詣が深く、『五味手相教室』や『五味人相教室』『五味マージャン教室』などの著作を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「五味康祐」の詳細全文を読む




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