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五塚原古墳(いつかはらこふん/いつつがはらこふん)は、京都府向日市寺戸町芝山にある前方後円墳。向日丘陵古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「乙訓古墳群」のうち)。 古墳時代最初期、3世紀半ばから後半頃の築造と推定される最古級の大型前方後円墳である〔。 == 概要 == 京都盆地南西縁、向日丘陵南部の尾根上に位置する大型前方後円墳である。向日丘陵では、五塚原古墳に続き元稲荷古墳・寺戸大塚古墳・妙見山古墳といった墳丘長100メートル程度の大型前方後円墳などが営造されており、これらは「向日丘陵古墳群」と総称される。本古墳においては、後円部の北西裾の一部が宅地造成によって削平されているが、全体的に墳丘を良好に遺存する。これまでに数次の発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部が3段築成、前方部が2段築成で〔、ほぼ盛土からなる。後円部が正円形をなすほか〔"後円部は正円、大王墓の原点か 京都・向日、五塚原古墳" (京都新聞、2015年12月16日記事)。 "五塚原古墳 | 後円3段、前方2段 同構造古墳では最古 向日 /京都 (毎日新聞、2015年12月17日記事)。 "「卑弥呼の墓」と共通新たに" (読売新聞、2015年12月17日記事)。〕、前方部がバチ形に開くという古墳時代初期の特徴を有する。墳丘の削平を受けた崖面からは円筒埴輪列が検出されたというが詳らかでなく、近年に調査が行われた前方部に限っては埴輪・土器などの遺物の出土は認められていない(後円部の有無は未判明)。埋葬施設の発掘調査はなされていないが、電気探査により後円部墳頂中央および前方部墳頂中央に墓壙(竪穴式石槨か〔(向日市)。〕)の存在が推定されている。前者は東西15メートル・南北11メートルで主軸に直交し、後者は東西5メートル・南北7メートルで主軸に平行するとされる。ただし後円部には盗掘坑と見られる窪みが認められているほか、前方部における実際の発掘調査によれば、同箇所において大規模な埋葬施設はないと推測される。 この五塚原古墳は、3世紀半ばから後半頃の築造と推定される〔。正円形をなす後円部は、卑弥呼の墓と推定される箸墓古墳(奈良県桜井市)と共通する古い形式であるほか、前方部の形状は、箸墓古墳と同時期の築造と推定される東田大塚古墳(奈良県桜井市)と一致する〔。また、以後の前方後円墳の基本となる後円部3段・前方部2段の構造として最古級の例となることから、箸墓古墳ののち西殿塚古墳(奈良県天理市)・行燈山古墳(奈良県天理市:崇神天皇陵)と続く畿内大王墓の基本設計として、本古墳を位置づける説が挙げられている〔。 古墳域は、2016年(平成28年)3月1日に国の史跡に指定されている(史跡「乙訓古墳群」のうち)〔。向日市・長岡京市・大山崎町にまたがる一帯では、向日丘陵古墳群とともに恵解山古墳などの首長級古墳37基の分布が知られるが、そのうち五塚原古墳を含む11基が上記の史跡「乙訓古墳群」に包括して指定されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五塚原古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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