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五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞。大嘗祭では5人。 == 概要 == 大歌所には和泉国から「十生」と呼ばれる人が上洛し(『衛府官装束抄』「和田文書」-大日本史料所引―ほか)、臨時に大歌所に召された官人に教習した。別当はこの大歌所の責任者である。 舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人が選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が舞姫を出すこともあった。大嘗祭では公卿の娘が三人になる。古くは実際に貴族の子女が奉仕し、大嘗祭の時には叙位にも預かった。清和天皇の后の藤原高子も后妃になる前に清和天皇の大嘗祭で舞姫を奉仕して従五位下に叙された。もっとも貴族女性が姿を見せないのをよしとするようになった平安中期以降、公卿は実際に娘を奉仕させず、配下の中級貴族の娘を出した。『源氏物語』少女巻において、光源氏が乳母子の惟光の娘(のちの藤典侍)を奉仕させたというのも、こうした時代背景を反映する。 舞姫に代理を出すようになっても、五節舞姫奉仕は奢侈的に行われ、宮中に賜る局の設営や女房・童女の装束等に多大な費用を要した。すでに延喜十四年の『意見封事十二箇条』では舞姫を毎年貴族に出させるのをやめ、専門の舞姫を置くという案が出されているが、その第一の目的が奢侈の防止にあった。摂関家から舞姫を出す時には配下の受領らの奉仕が当然のように行われ『類聚雑要抄』や『猪隈関白記』『勘仲記』には経費割り当ての文書である「五節雑事定文」が掲載されている。また鎌倉時代には受領制度が形骸化、上流貴族が知行国主となり、自らの一族や配下の中級貴族を国司として国衙収入を得るようになると、受領奉仕の分は知行国主の奉仕となり、実質上公卿奉仕分と同じことになってしまった。『五節かなの記』(『為相装束抄』などともいう)は永仁五年の播磨国司奉仕分の記録であるが、実際は播磨国衙領主であった持明院統の皇室‐当主は後深草上皇―の沙汰によるもので、多くの装束類が持明院統大覚寺統を問わない皇族たちからの贈答品(御訪)によりまかなわれている様子が見られる。 選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上、直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露、当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。 この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて袖を五度振って舞ったとの伝説に依拠している。天武天皇が天河大弁財天社を創建した縁起はこれであり、天空に現れた吉祥天は、神社所蔵の文書によれば、伊勢内宮の荒祭宮祭神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(またの名、瀬織津姫)を指す。 五度、袖を振って舞う。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。『年中行事秘抄』に「乙女ども乙女さびすも唐玉を袂に巻きて乙女さびすも」という歌謡が載せられており、この歌にあわせて舞われたもののようであるが詳細は不明である。なおこの歌謡は平安初期に豊明節会と正月三節会(元日節会・七日白馬節会・十六日踏歌節会)で歌われた歌謡を記した『琴歌譜』に「短埴安曲」として掲載されている。 また、『春秋左氏伝』昭公元年条に「先王之楽、所以節百時也、故有五節。遅速、本末以相及。」とあり、これを晋の杜預が「五節=五声」として先王が5つの音調を用いて楽を作って民衆を教化したと解している。このため、天武天皇は大陸の礼楽思想を取り入れる意図をもって五節舞を考案したとする見方もある(なお、聖武天皇が元正上皇のために阿倍内親王(孝謙天皇)に五節舞を舞わせた際に、天皇が上皇に対して「天武天皇が天下統治のために礼と楽を整備するために五節舞を考え出された」と述べている(『続日本紀』天平15年5月辛丑条))。 五節舞の情景を描写した、僧正遍昭の「天つかぜ 雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」の歌が有名である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五節舞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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