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山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - )は日本の実業家。「オリンピックおじさん」として知られる(後述)。 == 人物 == 富山県東礪波郡井波町(現南砺市)出身。日本大学工学部建築学科卒業後にワイヤーロープ業界に入り、1960年に浪速商事株式会社を設立。現在は同社代表取締役会長。 オリンピックにおいては、様々な種目の会場で金色のシルクハットに羽織はかまといういでたちで日の丸の旗を振る。初めて応援に出掛けた夏季オリンピックは1964年の東京オリンピックであり、これ以降、日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックも含めて2012年のロンドンオリンピックまで13大会連続で夏季オリンピックの応援に出掛けており、「国際オリンピック応援団長」「オリンピックおじさん」の愛称で有名になった。 〔なお、応援に出掛けた冬季オリンピックは、1998年の長野オリンピックのみ。〕。毎回のオリンピック観戦は体力的・経済的にも負担となっており、毎回自らが拠出する宿泊費などの費用は大会あたり1000万、のべ1億円以上を使っているという。高齢であることもあり、北京オリンピックを最後に応援に出掛けることからの引退を表明していたが、後に「引退表明」を撤回、ロンドンオリンピックにも応援に赴いた。その後母校の富山工業高校が甲子園出場し、急遽帰国し応援に駆けつけた。2020年の東京でのオリンピック開催を受け、94歳での同大会までは応援を続けていくと述べている〔。 また大相撲でも同様に、日の丸及び五輪のロゴ入りジャージに大きなシルクハットを被り、金色の日の丸扇子を広げ向正面のたまり席に座り応援を行っている。人気力士の名前が印刷された紙を周りに配ってもいる。これらのことに対して坂信一郎は、理事長から帽子をやめるように注意されたことなどを語り、「ぜひあの応援の仕方はやめてほしい」「はっきり言って目障り」「勝手に席に入っている」などと批判した。 紺綬褒章、ゆうもあ大賞(1984年)受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田直稔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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