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五辻 安仲(いつつじ やすなか、1845年2月19日(弘化2年1月13日)- 1906年(明治39年)2月9日〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、157-158頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。子爵。 ==経歴== 山城国京都で左兵衛佐・五辻高仲の息子として生まれ、父の養子・五辻継仲の養子となる〔。安政5年10月28日(1858年12月3日)に元服し昇殿を許された〔『五辻家譜』〕。元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策し、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた〔『明治維新人名辞典』95頁。〕。慶応3年1月(1867年)赦免となる〔。 同年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、三職書記御用掛となる〔『百官履歴 上巻』374-375頁。〕。慶応4年2月20日(1868年3月13日)、参与・内国事務局判事加勢に任じられた〔。その後、内国事務局権判事、弁事、権弁事、弾正大弼、弁官事、少弁、神楽長、式部助などを歴任。少納言、侍従を歴任〔〔〔『人事興信録』初版、69頁。〕。明治4年11月12日(1871年12月23日)岩倉使節団の岩倉具視に随行して欧米に渡り、明治5年12月(1859年1月)に帰国した〔。1973年4月14日、父・高仲の隠居に伴い家督を継承した〔。 その後、式部寮理事官心得、華族第三部長、宮内省御用掛、華族局勤務、兼式部寮御用掛、華族局主事、爵位局次官、大膳大夫などを務めた〔。 1884年7月8日、子爵を叙爵した〔『官報』第308号、明治17年7月9日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五辻安仲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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