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五辻 宗氏(いつつじ むねうじ)は鎌倉時代後期の公卿。従二位、左兵衛督。参議五辻忠継の三男。母は参議五辻経氏と同母である正四位上行神祇大副卜部兼直の娘。妻は伊予守藤原佐村の娘。子には従二位に至った五辻忠氏がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建長8年(1256年)1月6日、叙爵。正嘉元年(1257年)9月8日、大膳大夫に任ぜられる。正嘉2年(1258年)8月20日、従五位上に昇叙。文応元年(1260年)6月14日、侍従を兼ねる。文永2年(1265年)1月20日、備中権介を兼ねる。文永4年(1267年)2月1日、正五位下に昇叙。文永5年(1268年)11月17日、右少将に転任し大善大夫を止める。文永7年(1270年)12月4日、従四位下に昇叙。同月29日、左少将に転任。文永8年(1271年)2月1日、下野介を兼ねる。建治2年(1276年)1月5日、従四位上に昇叙。同月23日、出雲権介を兼ねる。弘安2年(1279年)1月7日、正四位下に昇叙。弘安4年(1281年)3月26日、左中将に転任。弘安10年(1287年)1月13日、内蔵頭に転任。同年12月10日、内蔵頭を辞す。 永仁3年(1295年)12月9日、従三位に叙される。永仁5年(1297年)7月22日、正三位に昇叙。正安3年(1301年)4月17日、左兵衛督に任ぜられる〔同年1月に大覚寺統の後二条天皇が即位、後宇多院の院政が開始されたことによると考えられる。〕。嘉元2年(1304年)3月21日、従二位に昇叙され左兵衛督を止める。嘉元3年(1305年)9月17日、出家〔9月15日に亀山院が崩御したことによる。同月27日には素服を賜った。〕。正和4年(1315年)4月14日、薨去〔『尊卑分脈』では正和2年4月24日となっている。享年は『公卿補任』と同じく68。〕。享年68。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五辻宗氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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