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五辻 家経(いつつじ いえつね)は平安時代末期の公卿。正二位中納言。五辻中納言と号す。父は左大臣藤原兼雅、母は平清盛の娘。花山院家の分家である五辻家の始祖と見なされている。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 治承4年(1180年)1月5日、叙爵。同年4月11日、従五位上に昇叙。養和2年(1182年)3月8日、侍従に任ぜられる。寿永2年(1183年)1月7日、正五位下に昇叙。文治元年(1185年)1月20日、右少将に任ぜられる。同年3月には昇殿を許される。文治2年(1186年)2月30日、備中権介を兼ねる。文治3年(1187年)1月5日、従四位下に昇叙。文治5年(1189年)9月14日、禁色を許される。建久元年(1190年)1月5日、従四位上に昇叙。建久2年(1191年)2月1日、備後権介を兼ね、同月5日、左中将に転任。同年11月5日、正四位下に昇叙。建久3年(1192年)1月27日、備中介を兼ねる。建久8年(1197年)1月30日、伊予介を兼ねる。建久9年(1198年)1月11日、昇殿を許される。 正治元年(1199年)6月22日、参議となる。左中将は元の如し。正治2年(1200年)1月5日、従三位に叙される。同月22日には美作権守を兼ねる。同年10月18日、父兼雅が薨去したため喪に服す。建仁2年(1202年)、権中納言に任ぜられる。同年11月19日、正三位に昇叙。元久2年(1205年)4月16日、従二位に昇叙。承元元年(1207年)2月16日、中宮権大夫を兼ねる。承元2年(1208年)1月5日、正二位に昇叙。同年7月9日、中納言に転正。承元3年(1209年)、中宮権大夫を辞すが、4月14日には還任した。承元4年(1210年)3月19日、中宮藤原麗子が女院(陰明門院)となったため中宮権大夫を止める。建暦元年(1211年)1月、中納言を辞す。 建保3年(1215年)8月22日、出家。建保4年(1216年)6月10日、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五辻家経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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